IE9ピン留め

神田明神の二福神像     乙亥の日・旧暦12月22日



神田明神さんは、お江戸の総鎮守といわれた頃には、将軍サマから江戸庶民にいたるまで、そこに住まう者を分け隔てなく守り、現代だって、氏子町の範囲は、神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸の内など108町。その人口密度を考えてみれば氏子の数も、日本一といってもいいんじゃあないだろうか。
どうなんだろう?

その神田明神がお祀りするカミサマは、大己貴命(おおなむちのみこと)つまり別名大国主命(おおくにぬしのみこと)、少彦名命(すくなひこのみこと)、平将門命(たいらのまさかどのみこと)の御三神。

ことに古くからお祀りしている大己貴命、少彦名命は、古事記ワールドのお方。手を携え協力体制にて、葦原の中つ国=つまり日本国土を作ったカミサマ方です。
そんな方々が祀られているこその御由緒の深さとも申せましょうか?
ことに、この神社では、そのまま大己貴命=大黒さん、少彦名命=恵比寿さんと、同じ神格として扱われ、大黒&恵比寿がことあるごとに大活躍です。

まずは、お正月早々から授与いただける「二福神」
写真のように、一刀彫の恵比寿大黒像が小箱におさまり(初穂料1200円)、これがなんとも可愛らしく。さらに、この二神のご利益=国土経営、夫婦和合、縁結び、商売繁盛、医薬健康、開運招福...をまとって我が家にいらっしゃる。
...たぶん。

そして、1月14・15日の大黒祭には、境内には、恵比寿サマと大黒サマがいらして、なぜか流れる「商売繁盛でささもってこい!」のアナウンス。参詣者たちは、大阪の「十日戎」のように福笹を求め、思い思いに選んだ縁起物をぶら下げていたりします。
そして、福笹を授与されれば、それぞれ恵比寿さんには、「福鈴のお祓い」を、大黒さんには「内手の小槌のお祓い」までもしていただける。
明かせば、むろん、被りお面に装束による扮装ですが、お傍でお会いすればそうと侮れないありがたさです。

さらには、きたる2月3日の節分祭にも。
恵比寿さん&大黒さんは、舞の奉納やら豆まきやらとまたも大活躍するんだとか。
ああ、これは、忘れずまたもお参りしなければなりません。

さて、大己貴命=大黒さん、少彦名命=恵比寿さんと、同神格になった由来をおおざっぱに。
大己貴命は、別名の大国主命のダイコクの文字が由来で、もとはインドのカミサマだった大黒(ダイコク)さんと習合、大己貴命=大国主命=大黒天ということになっております。
一方、少彦名命は、ガガイモというマメ科の植物で作った小さな船を濃いで海からやってきて、また海の向こうの常世へ行ってしまったカミサマで、おそらく「海」つながりということで恵比寿さんと同じカミサマとする説が生まれた。
ちなみに、恵比寿さんは、イザナギ&イザナミの間に骨のない子=蛭子神として生まれ、海に流されて、いつしか今の恵比寿神のお姿で帰っていらしたともされる...なので「海」つながりってことです。

もちろん、これらは、神田明神オリジナルの解釈ではなくて、様々な説があり、そのおひとつを採用されたというお話かと。
ああ、つまり、カミサマ方のお話は、古すぎるぐらい古いので、その物語は様々にて、どこかの時代に都合よくも解釈された風も有り当然のごとく奇想天外、すっきりしないものなのです。
でもそこが面白くもあり、たとえば、恵比寿&大黒さんは、民間信仰の代表格。
神田明神のご祭神に関する解釈は庶民の側を向いていたからこそ...ともとれて、それが、江戸の庶民のココロをぐぐいとつかむ役割を担っていたのかもしれません。
...想像ですが。

# by michiru-hibi1007 | 2012-01-15 18:22 | 小さなカミサマ・縁起物 | Trackback | Comments(1)

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七草籠と佐原鞠塢(きくう)                丁卯(ひのとう)の日・旧暦12月14日

正月七日の人日の節句・七草粥の日が近づくと、正月飾りの華やかさの陰で、ひっそりお目見えしている感のある「七草籠」

春の七草、芹、薺(なずな)、御形、繁縷(はこべら)、仏の座、菘(すずな)、蘿蔔(すずしろ)を小さな籠に寄せ植えし、木の名札を立てた...それだけなのになんとも粋でめでたい感じがするあれですが、我が下町では、店の軒先やら個人宅の玄関口やらにいつのまにやら飾られ始め、七草の日が過ぎてもそのまま置かれる。
あんがい夏ぐらいまでそのままで、籠の中身のほうは、もとは雑草と野菜なもんで悪条件でもすくすくと育ち、道行くひとは、その成長具合を日々楽しんだり...と、いつしかのどかな風景が繰り広がります。

この「七草籠」のアイデアは、向島百花園を開いた佐原鞠塢(きくう)によるもので、彼の著作『春の七草考』に添えられた挿絵や当時流行の芝居に登場、江戸人たちになじみになった「なづな籠」などから考案したものといわれています。
実際、ずいぶん古い時代から、正月の飾りとして鞠塢の交友先に届けていたんだそうです。
それは、佐原鞠塢が逝って代替わりしても、さらに新しい時代の明治に入っても、年末年始の佐原家のご挨拶用として続き、やがて宮中にも献上されるようにもなります。
こんな七草籠がお年始なんかに届いたら、ちょっと...いやかなり嬉しいでしょうねぇ。
ああ、うらやましい。
...と、そんなこんなで、それがなんとなく真似されて、花屋の店先などでも売られるようになったということでしょうか。

ところで、この佐原鞠塢(きくう)という江戸の人。
「七草籠」もしかりですが、そもそも百花園の成り立たせ方からしてもう相当なプロデューサー振りを発揮した方でありました。

もとは、仙台の産。成人してから江戸に登り、しばらく中村座の芝居茶屋・和泉屋で働いたのちそこでためたお金を元手に日本橋住吉町に骨董屋を出します。
奉公の時分から、客あしらいが上手く人に好かれる好人物だったとか。加えて商才もあって、店は繁盛。骨董店には、当時の文人墨客があしげく出入りするようになり広い交友関係を作られていったんだそうです。
しかし、40歳手前で商売上で、賭博容疑をかけられ捕縛、さっさと隠居してしまいます。

ちなみに、佐原菊塢は隠居後の名前で、その名で、現在の墨田区向島あたりに隠居所を構えてからの活躍のほうが興味深く、百花園はその筆頭でもあります。

園芸に非常に興味をもっていた菊塢は、1804年に向島墨堤のほとりに3000坪の広大な土地を求め、まずはそこに300本以上の梅の木を植えます。
当時人気だった亀戸の梅屋敷の向こうをはってその名も「新梅屋敷」。
これが、「百花園」の前身で、その後、骨董屋当時から交友があった文人たちの力を借りて...というより、プロデューサーとして結集させて、万葉集や詩経など日本や中国の古典に登場する花木・草花を集め、まさに「百花」園の名にふさわしい庭園を作り上げてゆくのです。

さらに、PRにも手腕を発揮。
たとえば、谷中七福神と江戸最古を争う「向島七福神巡り」は、佐原菊塢の考案とも言われ、この周遊コースはたちまち流行り、もちろんそのコースのひとつ福禄寿さんのいらっしゃる場所を百花園と定め、来園者を急増させもしたんだそうです。

もちろん、百花園そのものも、やって来て退屈しないアレコレの工夫がこらされていました。
たとえば、複製ですが今も残されている門額は 太田南畝(蜀山人)の筆で「花屋敷」。両側の柱にある細長い額・聯(れん)の「春夏秋冬花不断 東西南北客争来」も、当時著名な書家・大窪詩仏によるもの。
そもそも「百花園」という命名自体も、姫路藩主の弟にして当時人気の絵師&俳人であった酒井抱一なんだそうで、もうその入り口付近で観るもの聞くものからして、当時でいえばものすごすぎる有名人満載。

ちなみに、太田南畝の「花屋敷」の文字の「敷」が、崩して判らないように書いてあるのですが、それも当時のまま。江戸時代に「屋敷」といえばそのまま武家の持ち物でしかなく、町人が経営する庭に「屋敷」などとつけるのは実はご法度。
この崩し字は、そこを知ってて黙認されていたあかしでもあって、そんなところも当時からの観どころだったんじゃあないでしょうか。
なんだか江戸人が好みそうなエピソードです。

さて、さらに菊塢は1819年に園内に窯を築き、隅田川周辺の土を使った楽焼も行います。
なずけて「角田(隅田)川焼」。
百花園には、当時から茶屋があって、来園者たちは、そこで梅干やらお煎茶やらを味わったということですが、梅干およびお茶の葉は園内の梅の木あるいは茶畑で採れたもの。そして、それをいただく茶碗や皿はその「角田川焼き」によるものだった。
これらも来訪者にとっては楽しいバリュー。
さらに、市場で販売する際の上手い宣伝にもなったはずです。
そんなこんなも、土産話に伝わって、われもわれもと来園者は増えていき、百花園のお茶代の売り上げだけで現代に換算して1日10万円以上にもなったんだとか。

...うーん、隠居というより、立派な事業。たいしたものです。

こうして、佐原菊塢は、70歳で逝くまで文人墨客達に囲まれ、好きな園芸を楽しみつつ、それを仕事に成り立たせ、生きた。ちょっとうらやましい人生ですね。

さて、話は戻って「七草籠」。
写真は、年始を寿ぐ意味で作られる、ジャンボ七草籠。
正月7日に、百花園を訪ねれば、その製作過程とともに、皇室へ献上される「献上七草籠」なども見学することが可能だし、もちろん、庭園内で七草粥を楽しむこともできます。

百花園は、東京大空襲でそのすべてが焼かれ、実は、戦後に東京都の公園として再建されたものですが、入り口の門額も聯(れん)ももとどおりに復元されて、七草籠の展示や七福神巡りに始まる四季折々の行事も多彩。
訪ねればやはりそこはかとなく楽しいところで、佐原菊塢その人の精神も健在な場所のままで今に続いているようです。

...なあんて、こんなネタを書くにはちょっと日にちがたちすぎました。
庭園内には、こんな七草のじか植えコーナーもあり、今年はコレで七草たちの成長を楽しみつつ、是非とも来年に備えてください。

ちなみに、「七草籠」も少量ですが一般への予約販売もなされているようですよ。

# by michiru-hibi1007 | 2012-01-07 16:22 | 小さなカミサマ・縁起物 | Trackback | Comments(2)

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小寒→大寒

こちらも遅くなりましたが、毎月始めに、月ごとの、二十四節気と七十二候もまとめておきたく思います。

旧暦では、「小寒」→「大寒」は、実はいまだ師走(12月)。正月の言葉の初春とか迎春とかが、やや無理やりな感じなのも、こうゆう事情からくるものなのかもしれず、実は、暦の上でもまだ春はきておりません。
ちなみに、「小寒」の日からは、寒の入り、このあたりからのお便りは寒中見舞いとなって、これも、つい数日前に初春を寿いだというのになぁ...という感じです。
そして、「寒」は、立春の前日「節分」までつづき、この期間が1年でいちばん寒い。実際、関東のあたりは、例年1月中旬から2月上旬がいちばん寒く、いつもはなんとなく現実とずれる二十四節気も「小寒」→「大寒」だけは、かなりぴったりなのが面白いところです。


◆小寒 1月 6日 「寒気稍強し」→◎
寒い日々の前半は、まだまだ小さな寒さ...ということですが、今年はもう十分に寒く、毎朝布団の中が恋しくてたまりません。暦の参考書『暦便覧』では「冬至より一陽起こる故に陰気に逆らふ故、益々冷える也」。
つまり、小春日和の暖かな日もあって、その反動でますます冷えを感じやすい...という意味でしょうか。ちょっと意訳しすぎ?

小寒の時期、もっと細かく季節を見つめる七十二候は...。

・ 初候 67候 「芹乃栄(せりすなわち さかう)」~ 1月10日
・ 次候 68候 「水泉動 (しみずあたたかをふくむ)」1月11日 ~15日
・ 末候 69候「雉始鳴(きじはじめてなく)」 1月16日~20日


◆大寒 1月21 日「厳寒を感ず」→◎◎

さあ、いよいよ寒さが最も厳しくなるころです。
『暦便覧』の説明は、「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と、つまり寒さの極みってことですね。それでも、寒い寒いといっているうちに、もうそこまで春がやってきています。


大寒の時期の七十二候

・ 初候「 欸冬華(ふきのはなさく)」~1月25日
・次候 「水沢腹堅(きわみずこおりつめる)」1月26日~30日
・末候「 鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)」1月31日~ 2月 3日

...ということで、来月は必ず月初めに!

# by michiru-hibi1007 | 2012-01-02 13:23 | 和ごよみ | Trackback | Comments(0)

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壬辰年・睦月の年中行事・縁日



明けましておめでとうございます...というには、ちょっとぼんやりしすぎました。

2012年、壬辰(みずのえたつ)の年のこのブログは、まずは毎月最初に年中行事や縁日などをまとめてみたいと思っておりつつ計画倒れ、10日以上も過ぎてしまって恐縮です。
もうとっくに終わった行事もありますが、ともかく睦月の年中行事や縁日などです。
☆や◎や◇の先には、昨年のものではありますが、詳細もありますのでよろしかったらご参考になさってください。

では、今年もよろしくお願いいたします。

◆元旦・初日の出→☆


元旦の文字の示す意味は、「はじめての日の出」、「はじめての太陽」、「はじめての朝」。そして、「数え歳」で年齢を数えた時代は、今日が日本人みんなの年取りの日=誕生日でもありました。  


◆初夢...1月2日の夜→☆☆

ちょっとばかし「ええっ?」と不思議に思うけど、1日の夜ではなくて、2日の夜に見る夢が初夢なんだとか。といっても、この「宝船」を売り歩く声が町々に響いていた頃の話かもしれない。それを枕の下に敷いて、呪文を唱え、寝る。するとあらあら不思議、初夢は吉夢になるんですと。

◆七福神参り...元旦から~7日ぐらい→☆☆☆

7人のカミサマを訪ねるスタンプラリー。
谷中と向島(隅田川)で、日本最古を競っているようですが、都内に古くからあるのは、浅草、日本橋、深川、亀戸、東海(品川)あたり。ところで、七福神には日本のカミサマがひとりしかいらっしゃらないって知ってました?

二十三区内の主な七福神めぐり...
浅草名所七福神/隅田川(向島)七福神/日本橋七福神/深川七福神/亀戸七福神/東海(品川)七福神/港(港区)七福神/池上七福神 /元祖山手(目黒)七福神/山の手(新宿)七福神/小石川七福神 /谷中七福神/下谷七福神/柴又七福神 /江戸川ライン(葛飾区)七福神/ 板橋七福神/荏原(品川区)七福神 /千寿(千住・足立区)七福神 /伊興(足立区)七福神/雑司ヶ谷七福神
ふーっ、ちょっと調べただけでもずいぶんあります。ちなみに雑司が谷七福神は平成生まれ。これから「最新」七福神は増えてゆくかも。詳細は、ほぼインターネットで調べられるのもすごいところ。


◆初亥大祭...初亥の日、2012年は1月3日・癸亥の日
摩利支天(まりしてん)は、陽光を神格化したインドの民間信仰のカミサマで、のちに仏教の守護神となった方。その摩利支天さんには、十二支の亥が仕え、それが由来で亥の日が縁日。今日は、その最初のご縁日です。

◆仕事始...1月4日→☆☆☆☆

格式と作法を重んじる幕府や宮中はもちろん、商人・職人たちだって、江戸の仕事始は案外大変でした。
現代の仕事始は、偉い方の挨拶を聞いて→初詣会社バージョン→飲み会と、なんだか暢気ですよね。


◆大黒天祭...初甲子の日、2012年は1月4日
甲子の日は、大黒様のご縁日。もちろんその最初の日は、大きくお祭いたしますようです。


◆初水天宮...1月5日
毎月5日は、水天宮のご縁日。その最初は初水天宮です。


◆松の内...1月6日→☆☆☆☆☆


松飾が飾られる期間・「松の内」は、小正月の14日・15日頃ぐらいまで...と思っていたら、東京地方のそれは6日の朝とか夕方とか、あるいは7日とかなり早い。あっという間に正月気分が去ってゆきます。

*上の写真は2012の東京国立博物館門前の門松。今月15日まで飾られています。


◆初寅の日...2012年は、1月6日・丙寅の日
寅の日は、毘沙門天さんのご縁日。その最初の初寅の日は、毘沙門天詣。
...が、毘沙門天さんは七福神の一員でもあるために毎年、七福神めぐりのついでになりがちで申し訳なく。


◆人日の節句...1月7日→☆☆☆☆☆☆

つまりは七草粥です。
首尾よく七草をそろえたら、徹底的に細かく細かく切り刻み、粥に入れるのが昔からの作法とか。その際は、「七草なずな、唐土(とうど)の鳥が日本の土地に渡らぬ先に、七草なずな」とはやし歌まであったそうです。


◆初卯詣の卯槌...1月最初の卯の日、2012年は1月7日・丁卯の日→☆☆☆☆☆☆☆

今年最初の卯の日は、丁卯(ひのとう)の日。この日は、亀戸天満宮の境内にある御嶽神社のお祭り「初卯祭」です。写真の不思議なカタチのものは、この初卯祭のみに授与される「卯槌」という縁起物で平安時代の宮中から続く由緒あるもの。


◆初薬師...1月8日
毎月8日は、薬師さんのご縁日。で、今日は初薬師です。


◆どんと焼き...1月8日鳥越神社/1月15日諏方神社→◎


江戸の頃から、火災予防のために何度も何度も何度もしつこく禁止されては復活...という歴史をもった左義長あるいはどんと祭。住宅密集地帯・東京だって、それはおんなじとはいうものの、それでは歳神様をお送りすることも出来ないと、各所でけっこう行われているようです。

*写真は、鳥越神社のどんと祭。
お焚き上げのため積み上げられた注連縄だけでもいっけんの価値がありました。


◆初巳祭...1月最初の巳の日、2012年は1月9日・己巳の日
巳の日は、弁財天サマのご縁日、今日はそのいちばん最初の弁天詣です。

◆宵戎...1月9日→◎◎

いきなり関西方面の行事ですが、毎年ニュースになる福男選びの神事とはもともと宵戎の行事。老若男子がただ走ってその速さを競うアレにも、けっこうな面白い由来があるようですよ。


◆十日戎...1月10日→◎◎◎

これも関西の行事で恐縮ですが、「商売繁盛、笹もってこい!」というなら、笹を持っておたずねしたいと毎年東の地から思ってみます。
ちなみに、このえびすさんこそ、七福神唯一の日本のカミサマなのでした...とここで、七福神めぐりのところの答えであります。


◆初金比羅...1月10日
毎月10日は、金比羅さんのご縁日。そして今日は2012年最初の日です。
ちなみに、讃岐象頭山の金刀比羅宮は、一度はおまいりしてみたい場所のひとつ。


◆鏡開き...1月11日→◎◎◎


あっという間に鏡開き、松もお焚き上げしましたし、他の地に比べて、東京の正月はあっという間に過ぎてゆきます。それもこれも、武家の大ボス、徳川さんの事情によるものだったみたいですよ。


◆十四日年越し...1月14日→◎◎◎◎


東京は、バーゲンたけなわな感じですが、十四日年越しと小正月の行事の残る土地では、今日は、新たに餅をついて熨して細く切って枝に飾る「餅花」を作り、小正月の飾りとして、豊作を祈願しつつ過ごします。


◆小正月...1月15日→◎◎◎◎◎


そして、小正月には、邪気を祓うため小豆粥を食べる。本来の15日は、望月の日=満月の日の粥なので、「望粥(もちがゆ)」と呼んで、実際に餅を入れる地方もあるようです。この小豆粥をめぐって今年を占う、「粥占(かゆうら)祭」を行う神社もあったりと実は興味深い一日。


◆閻魔詣...1月16日→◎◎◎◎◎◎


今日は閻魔さまの縁日「閻魔の賽日」です。この日にだけ地獄の釜のふたが開き、地獄の鬼たちがお休みなので亡者も責め苦から免れられるそうです。ちなみに小石川の源覚寺に参れば、閻魔さまとのご縁のしるしに「蒟蒻」が一枚いただけて、さらに蒟蒻田楽まで振舞われます。


◆寒中丑の日...1月17日・丁丑(ひのとうし)の日、1月29日・己丑(つちのとうし)の日
→◎◎◎◎◎◎◎


暑中の土用丑の日に鰻を食す風習のように、この寒中の丑の日にも、「寒中丑紅(うしべに)」という艶やかな風習がありました。この日、紅を扱う小間物屋の店頭に「今日丑紅」と張り紙が出され、紅を求める女性たちで大賑わい。「寒紅売り」という行商まであったそうです。現代もやればいいのに。


◆初観音と亡者送り...1月18日→◇


毎月18日は、観音様のご縁日。そして、一番初めの18日「初観音」は、歳の初めに1年間の無事を祈願するもの。浅草寺の初観音では、夕暮れ時になると、亡者送りの鬼がきます。個人的には、浅草でいちばん好きな年中行事。


◆初大師...1月21日→◇◇

月ごとに巡ってくるカミサマ、ホトケサマ方のご縁日。その最初は特別なので、1月は、初縁日が目白押しです。21日は、「初大師」、弘法大師さんの今年最初の縁日です。
この日は、弘法大師さん、つまり空海さんの不思議でスケールの大きい伝説などをひもといてみたく。


◆年賀状お年玉...1月22日→◇◇◇


早いものでもうお年玉年賀はがきの抽選日。
新年にいうただいたはがきをながめ、あらためて、今年の年賀はがき自体のの意匠を楽しんだりもいたします。ところで、「お年玉年賀はがき」の発祥が、官ではなく民間からだったって、知ってました?


◆初地蔵...1月24日→◇◇◇◇


初詣、初卯詣に初閻魔、初観音と初大師...ときて、正月晦日も近い24日は「初地蔵」。仮に、ほかの方々のご縁日をついつい忘れたとしても、この日だけは特別に思っていたい。
お地蔵様は、辻や商店街や、私たちの身近にいらっしゃり日常生活を見守ってくださる、地味だけれどありがたいホトケサマです。


◆鷽替えの神事...1月24・25日→◇◇◇◇◇

毎月25日は、天神様のご縁日、つまり本日は「初天神」です。この日は、天神様の使者でもあった鷽を象る「木鷽」を授与いただき、その霊験にて一年間についた嘘を清算し、天神さまの「誠心」に変えていただき、幸運までもいただく...と言う段取り。
おかげで、近ごろ大人気、「木鷽」を授与いただけない事態ともなっております。

*都内の鷽替えの神事は、上野五条天神、亀戸天神、湯島天神にて。


◆初不動...1月28日→◇◇◇◇◇◇


今年最初のお不動さんの縁日。深川のお不動サマの本堂では数時間ごとに護摩が焚かれ、祈祷を受ける方で立錐の余地もなしという感じ。お賽銭箱のあたりまで立ち見が出る賑わい振りです。

# by michiru-hibi1007 | 2012-01-01 01:00 | 年中行事 | Trackback | Comments(2)

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大晦日                   庚申(かのとさる)の日・旧暦12月7日


2011年、辛卯(かのとう)の年もとうとう大晦日を迎えました。
紅白、年越し蕎麦に、除夜の鐘。いやまだ、お節料理の準備中とか...年が変わってゆく瞬間まで何かと忙しい一日です。

そんなヒトの慌しさの隙を狙いすましたかのように、この日、関東一円の狐たちが密かに参集する場所があるんだそうです。
それこそが、江戸東京の北部に鎮座する王子稲荷神社の門前にある「装束榎(しょうぞくえのき)」という一本の木。
大晦日の深夜、稲荷神の眷属(けんぞく)である狐たちがその木をめざして集まってきて、根元で正装に着替える。
...だから「装束」の榎。
そしてそこから行列をつくり、静々と王子稲荷へ向かうんだそうです。

そのとき、狐たちの行列は狐火を点し、かつて、近くに住む農民たちは、その数で新年の豊凶を占ったとの言い伝えもあって、実際、当時を語る書物には、それが本当にあったことのように描かれてもいます。

たとえば、『絵本江戸風俗往来』(菊池貴一郎 東洋文庫)を紐解けば、<己(おのれ)若年の頃、二とせばかり見に行きしことあり。実に聞くところに違わず数百とも思うばかりの狐火を見たり。(略)闇夜の大晦日、北風は寒く木々の梢吹き、遠近寂寞として物音なく、かの狐火は見ゆるかとおもえば失せ、失せるかとすればまた光り、身の毛もよだつばかりなり>と、臨場感たっぷり。
江戸の地誌や社寺・名所などを挿絵つきでまとめた江戸のガイドブック『江戸砂子』でも<年毎に刻限おなじからず、一時ほどのうちなり。宵にあり、あかつきにありなどして、これを見んために遠方より来るもの空しく帰ること多し、一夜とどまれば必ず見るといへり。>...と。
つまり、狐火の現れる時間は一定しないが、(略)一晩そこで待っていれば必ず見られるとのこと...などとパッキリ言い切っているらしい。

うーん、あながち法螺とも思えず...ですが、どうなんでしょうか?
江戸の当時は見渡す限り田畑だけの場所となれば、夜にもなれば物の怪が出るのもふさわしそう。傍には由緒ある王子稲荷神社...狐火のひとつも見えたと信じたほうが、とりあえず楽しいように思えます。

この大晦日の狐火行列は、江戸人たちによく知られることにもなって、有名なところでは、浮世絵師・歌川広重『名所江戸百景』のひとつ「王子装束ゑの木 大晦日の狐火」に幻想的な絵が描かれています。
あるいは、王子稲荷で授与される絵馬のひとつが、この大晦日の狐火をイメージして描かれたもの。こちらも、写真のように広重の絵に負けず劣らず、神社にお祀りしてくるのがちょっと惜しいぐらいの美しい絵になっております。

さて、現代の王子稲荷神社の門前は、王子駅前。
JRも地下鉄も交差するターミナル駅にふさわしく、ビルが密集した繁華な場所となりました。
装束榎は、もうとっくに枯れてしまい、あとには「装束稲荷神社」と呼ばれる小さな社がたっているのみ。夜中まで煌々と明るい東京のごく普通の街には、狐火なんか、点ったとしても見えようにありません。

...が、この大晦日、「狐の行列」は行われてもいるのです。
王子界隈の地域おこしの一環ではありますが、1993年のから始まった「王子狐の行列」は、東京の大晦日を飾る興味深い行事でもあって、初詣のため交通機関が終夜運転となるのも手伝い、けっこう大きなイベントとなっているんだそうです。


ひっそりとした狐火は見える由もありませんが、こんな大きなお面を被って裃つけて、かがり火&提灯で、装束稲荷から王子稲荷まで行列は練り歩く。

年末年始は、故郷に帰って過ごすのが決まりなので、噂は聞けども、実は一度も見たことはないのです。これが見られる東京育ちの方が少しうらやましい大晦日でもあります。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ちょっと欠けた日が残ってはおりますが、無事1年1日ひとつのニッポンを追って来る事ができました。
少ない読者の方々ありがとうございます。

また明日から故郷へ帰省。
更新環境がありませんので、少し前倒しで大晦日まで書かせていただいた次第です。

さて、2012年からは、少し速度を緩め、同じテーマでちょっと違うアプローチをしてゆきたいと思います。来年もぜひよろしくお願いいたします。

# by michiru-hibi1007 | 2011-12-31 14:59 | 年中行事 | Trackback | Comments(2)

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