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1日1つの「日本的!」な楽しみ


by michiru-hibi1007
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卯月の年中行事・記念日

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寒い寒いといってた日々も去り、東京辺りではずいぶん暖かくなりました。ふと見れば、フルーツショップには春の柑橘類が並び、店頭はやさしい春のみかん色。
季節はもう完璧なる春、...どころか卯月・4月は、月末ともなれば、もうすでに初夏の気配も出てくる時期。ああ、早いですね。
さて、4月は、先の1~3月に比べてポピュラーな年中行事の少ない月ですが、お奨めは、お釈迦様のお誕生日を祝う「潅仏会」。多くのお寺がそれぞれに工夫を凝らし美しくも華やかに祝います。もしかしてお近くのお寺でも、そんな光景を臨むことができるかもしれません。
ということで、今月の年中行事と縁日です。☆◎◇の先には、昨年のものではありますが詳細が、よろしかったらそちらもどうぞ。


◆新年度...4月1日→☆卯月の年中行事・記念日_c0205840_162378.jpg
日常生活の一巡は、大晦日で終わり、元旦でスタートですが、社会生活の一巡は、4月1日がその始まり。いつもなんとなく過ぎていってしまうものですが、せめて普段使いのものを新しくして、自分らしいけじめをつけてみたい日です。ちなみに今年の新年度は日曜日。それでも入社式などは行われたようです。


◆隠元豆の日...4月3日→☆☆  
卯月の年中行事・記念日_c0205840_163082.jpgインゲン豆の旬は夏なのに、その記念日は4月初旬?実は、このインゲン豆を大陸から伝えた禅宗の高僧、隠元さんがなくなったのが、1673(延宝元)年のこの日だからとか。インゲン豆...って、こりゃまた、ど偉い名前を冠された豆なのですね。


◆花会式...3月31日~4月5日→☆☆☆
卯月の年中行事・記念日_c0205840_1632037.jpg奈良に春を告げる薬師寺の「花会式」。
ご本尊である薬師如来さんの脇侍、日光・月光菩薩さん方の美しくありがたい姿に東京国立博物館にてお会いしたのが数年前。それいらい恋焦がれるように思い出す美しいお姿ですが、それが三尊揃って花々に囲まれるのがこの行事。ああ、一度お訪ねしたい!


◆潅仏会...4月8日→☆☆☆☆
卯月の年中行事・記念日_c0205840_1633618.jpg4月8日は、お釈迦様の誕生日。
本来は、旧暦でのことですが、東京地方では新暦のこの日、各寺院で潅仏会が執り行われます。草花で美しく飾った花御堂(はなみどう)の中にいらっしゃるのは、お釈迦様誕生の時の伝説に基づく「誕生仏像」。初々しくも聡明な印象の釈迦像に参拝者たちは甘茶をかけて、その誕生を祝います。


◆大仏の日...4月9日→◎
卯月の年中行事・記念日_c0205840_165729.jpg今日は、大仏の日。その由来は、752(天平勝宝4)年、奈良・東大寺の大仏さまの開眼供養が行われたのが今日だったから...だそうです。が、そんな名の日ならば、我が関東地方の鎌倉大仏様にお会いしたくなるというもの。うららかな日々、ちょっと鎌倉観光にでもくりだしましょうか。


◆駅弁の日...4月10日→◎◎
卯月の年中行事・記念日_c0205840_1654473.jpg「4」と「十」を上下に合わせると「弁」という文字に似て見えるから、4月10日は、駅弁の日なんだそうです。うーん、こじつけ臭いですね。しかも、さらに7月16日には「駅弁記念日」というのもあって、そちらは、宇都宮駅で初めて駅弁が発売された日とか。駅弁をめぐる日が、1年に2回もある、日本人=駅弁大好きを語る記念日ってことでしょうか。


◆地図の日...4月19日→◎◎◎
卯月の年中行事・記念日_c0205840_1661325.jpg江戸時代の後期、寛政12年(1800年)閏4月19日。伊能忠敬は、蝦夷地の測量を行うためにこの日、江戸を旅たちました。その輝かしい事実に由来し、この日は地図の日なんだそうです。そして、この伊能忠敬という人の生き様は、さながら「人生の地図」のようでもあって、現代人の生き方見本にだって遜色なし。実にカッコイイ日本人のひとりです。

  
◆つつじ祭り...4月7日~5月6日<見ごろは4月中~下旬>→◎◎◎◎
卯月の年中行事・記念日_c0205840_1664848.jpg4月下旬となれば、根津神社のつつじ苑のつつじは最盛期。様々な種類のつつじの花が、赤やピンクやオレンジやとその開花を競います。ちなみに、神社境内のつつじ苑は約2000坪と広大、つつじが約50種3000株もあって、その開花の様子が時期によって微妙に違い、長くつつじを楽しむことも可能です。


◆根津神社の厄除け粽... 4月7日~5月6日→◇
卯月の年中行事・記念日_c0205840_167896.jpg根津神社にてつつじ祭りが始まれば、本殿の傍らに美しく積み重ねられる「厄除け粽」。笹だけで巧に作られ、「厄除け粽」と書いて巻かれた白い紙も清々しく、笹の香りが漂ってきそうです。この「厄除け粽」は、つつじ祭りの時期だけしか授与されず、もとめて家の入口にに飾って家内安全、厄除けを願います。


◆植物学の日...4月24日→◇◇
卯月の年中行事・記念日_c0205840_1673041.jpgずいぶん前に編纂された「牧野日本植物図鑑」ですが、今も、植物好きのバイブルのひとつ。4月24日は、その植物図鑑を作った植物学者、牧野富太郎博士の誕生日です。それにちなんでこの日は、植物学の日でもあるそうです。


◆昭和の日...4月29日→◇◇◇    
卯月の年中行事・記念日_c0205840_1674653.jpg昭和の時代の4月29日は、「天皇誕生日」。それが、「みどりの日」になったのは、昭和天皇が崩御された1989年で、さらに2007年に「昭和の日」と呼び名を変えて、「みどりの日」は5月4日に引っ越しました。それでも、4月29日の朝は「今日はみどりの日」という感じがしてしまうのは、この日生まれたその人が、生物学者として植物に造詣が深かったからかもしれません。      
# by michiru-hibi1007 | 2012-04-01 15:43

弥生の年中行事・縁日

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弥生は、上巳の節供に始まって、まずは、雛人形に、雛あられとか金華糖とか...。そうしているうちうらうらと暖かさが増して、やってくるのは花咲く季節。となれば、桜の開花を様々追って忙しい。
思えば、3月というのは、1年中でいちばん希望に満ちて華やかな日々。
大切に過ごしたい春です。
ということで、今月の年中行事と縁日です。☆◎◇の先には、昨年のものではありますが詳細が、よろしかったらそちらもどうぞ。

◆上巳の節供・雛祭...3月3日→☆
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住宅事情のせいなのか、3月が近づくと、小学校とか公民館、図書館などなど、公共施設にお雛壇というのが珍しくなくなりました。せっかくですので、お内裏様から順に、どんな構成になっているのか、それをきちんと知るのも一興かと。

◆深大寺のだるま市...3月3日、4日→☆☆弥生の年中行事・縁日_c0205840_14504666.jpg

関東近郊では、いちばんおそいだるま市。だるまを求め、特設された開眼所まで持ってゆけば、深大寺のお坊さまじきじきに目入れをしていただけます。しかも、点睛されるのは、左目に「梵字の阿字」。これは非常に珍しいように思えます。同日、行われるお練行列も必見。

◆八幡様の初卯祭...3月初の卯の日で、ことしは丁卯の日の3月7日→☆☆☆
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「八幡様のお誕生日が卯の日であった」ことをよりどころに行われる初卯祭。川崎市白幡八幡大神の初卯祭には、こうして鳥居に大きな蛇が飾られます。そして、2月初の卯の日、今年は癸卯の日の2月12日には、 葛飾八幡宮でも初卯祭が行われたようです。

◆消防記念日...3月7日→☆☆☆☆ 弥生の年中行事・縁日_c0205840_1452812.jpg  
        
由来は、消防の自治を認めた「消防組織法」施行が1948年3月7日だから。で、消防の自治といえば、思い出すのは、江戸の火消しのことだったりもします。江戸のいい男の代表は「与力・力士に火消しの頭」といわれたんだそうですよ。現代だって、その装束は、いなせで、甚だしくかっこいい。

◆旧暦の涅槃会...旧暦2月15日、今年は3月7日→◎弥生の年中行事・縁日_c0205840_14522474.jpg

東京地方では、仏教行事が中心の涅槃会。しかし、全国規模で見渡せば、「釈迦の鼻糞」と呼ばれるあられ餅や「やしょうま」と呼ばれる餅などと、各種供物が授与されて、民間信仰的な色彩も豊かです。特に、信州地方で涅槃会に供える「やしょうま餅」は、この時期の風物詩的な扱いのようですよ。

◆「古事記」が完成した日...3月9日→◎◎
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約1300年前の今日、旧暦ならば、712年(和銅5)年1月28日に、「古事記」が完成、太安万侶によって元明天皇に献上されました。成り立ちの意図から言えば、これが、日本でもっとも古い歴史書の誕生でしたが、現代人が紐解けば、奇想天外。スペクタクル満載の面白さです。

◆東京都平和の日...3月10日→◎◎◎
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しだれ柳が芽吹き始めた春の日だというのに、東京地方は、突然、強い冬型の気圧配置に覆われて、強い空っ風が吹きだしました。その気象条件も被害を未曾有卯のものにしてしまった。
1945年3月10日は、忘れてはならない東京大空襲の日です。

◆道後温泉祭り...3月19日から21日→◎◎◎◎
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遠い四国のお祭りだというのに、お彼岸がちかづけば条件反射的に思い出してしまうのは、やっぱり、夏目漱石の「坊ちゃん」によるところが大きい。子供の頃から何度読んだか解らないぐらいの一冊を、その祭りを思って紐解いています。

◆春分の日...3月20日→◇
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春分の日は、太陽が真東から出て真西に沈む。そして、昼と夜の長さがほぼ同じになる日です。仏教の教えでは、太陽が沈む真西に、阿弥陀さまが住む極楽浄土があって、そこには祖先の霊が安らかに暮らしている。その「彼岸」にいるあの人この人を思いつつ、不恰好な牡丹餅を作ります。

◆上野動物園開園記念日...3月20日...◇◇
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上野の動物園の開園は1882年(明治15年)の3月20日。この日はそれを祝って、毎年、無料開放されるのですが、昨年は、地震の影響から長く閉園となりました。...寂しい春だと、そんなこともココロを少し砕きます。今年は、きっと賑やかな記念日であることでしょう。これからも、きっと、ずっと。

◆神忌祭...3月25日→◇◇◇
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2月25日は菅原道真公の命日。亀戸天神では、先月の新暦のこの日は「菜種御供」という行事が執り行われました。そして、旧暦の2月25日道真公の命日に近い今日も、もうひとつの供養祭事「神忌祭」が行われます。
# by michiru-hibi1007 | 2012-03-01 23:57 | 年中行事

立春→雨水

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如月の季節は、「立春」=春の入り口からはじまりますが、まだまだ肌で感じる季節は冬。やがて、「雨水」に移り、そこでやっと雪も氷も解けて、空から降る雪も雨に変わるというぐあいに進みます。しかし、今年は寒い日続き、例年ならばそろそろ開花の梅すらも蕾はまだまだ堅く、そんな季節の段取りも正真正銘暦の上でのお話になりそうです。

◆立春 2月 4日「 春の気始めて立つ」→◎ 立春→雨水_c0205840_1237518.jpg
「立春」の日から暦は春に入ります。「大寒」から「立春」までが寒さの頂点でもあって、この日からの寒さは「残寒」とか「余寒」とかと言うそうで、手紙を書く場合の時候の挨拶もこの言葉を使うのが正しくなります。
...といっても、残りとか余りとかいうのがそぐわない、今年はなんと寒いんでしょうか。

さて、「立春」すぎの七十二候は...。

・初候 1候東風解凍(はるかぜこおりをとく) 2月4日~2月8日
・次候 2候黄鴬見睨(うぐいすなく) 2月9日~2月13日→◎◎
・末候 3候魚上氷(うおこおりをのぼる)2月14日~2月18日

◆雨水 2月19日「 氷雪解け雨水温む」→◎◎◎
立春→雨水_c0205840_12432451.jpg     
「雨水」は、「あまみず」と読まずに「うすい」と読みますが、その文字から来るイメージどおりに、雪も氷も解けて、空から降る雪も雨に変わり...つまりはやっと春らしさへのカウントダウンといったイメージでしょうか。しかし、今年は、寒さ厳しく、はてさてどうなることやらです。

「雨水」の時期の七十二候

・初候 4候 土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)2月19日~2月23日
・次候 5候 霞始靆(かすみはじめてたなびく) 2月24日~2月28日
・末候 6候 草木萌動(そうもくめばえいずる)2月29日~3月 4日
# by michiru-hibi1007 | 2012-02-04 15:39 | 和ごよみ

如月の年中行事・縁日

如月の年中行事・縁日_c0205840_2147677.jpg

2月もまじかになれば、和菓子舗のショウウインドウを飾るのは、様々な節分和菓子
その意匠をひろってあるく和菓子のウインドウショッピングも楽しいものです。
ということで、今月の年中行事と縁日です。
☆◎◇の先には、昨年のものではありますが詳細が。よろしかったらそちらもどうぞ。

◆福豆→☆
如月の年中行事・縁日_c0205840_21333555.jpg節分の夜にまく豆「福豆」は、節分の日よりも前に炒って、しばらく神さまにお供えしておくというのが作法なんだそうです。だからか、各神社ではずいぶん前から福豆の授与がはじまっていました。



◆節分祭...2月3日→☆☆
如月の年中行事・縁日_c0205840_21342232.jpg節分祭は、初春の一大イベント...でもあるようで、豆まき以外にも、神社のご祭神と由来をもとにざまざま工夫を凝らした催しが見られます。



◆初午祭の凧市...2月3日、15日、27日→☆☆☆
如月の年中行事・縁日_c0205840_21361618.jpg2月、最初の午の日は、お稲荷さんのご縁日である初午祭。かつて稲荷ブームともいえた江戸の町では、この日の賑わいはそうとうなものだったとか。王子稲荷神社には、2月午の日凧市がたち、火防の凧が授与されます。ことしは三の午まで。   


◆針供養...2月8日→◎
如月の年中行事・縁日_c0205840_21371441.jpg今日は、折針、古針を持って浅草寺の淡島堂へ。それを、豆腐にさして供養します。いつも静かな境内の賑わい振りにも驚いて、巨大なお豆腐にもまたびっくり。



◆建国記念の日...2月11日→◎◎
如月の年中行事・縁日_c0205840_21385042.jpg紐解いてゆけば、ちょっとはっきりしない建国記念日の由来。かつては、きな臭いことにも使われて、ぼんやり休むだけでなく、きちんと知っておきたいこの日のこと...と思います。



◆涅槃会...2月15日→◎◎◎
如月の年中行事・縁日_c0205840_21391580.jpg2月15日は、お釈迦様が80歳で入滅された日...つまりご命日。東京ならば、芝の増上寺とか浅草・浅草寺とかでは、所蔵の涅槃図を境内に麗々しく飾り、特別な法要も行われます。



◆初午祭の地口行灯...2月15日→◇
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今はあまり目にすることは無いけれど、お稲荷さんのご縁日、初午祭には地口行灯を掲げてお祝いをした。
そこに描かれているのは、言葉遊びと変なイラスト。もう、ほとんど駄洒落の世界です。



◆富士山の日...2月23日→◇◇
如月の年中行事・縁日_c0205840_21431524.jpg二=ふ、二=じ、三=さんと完全な語呂合わせですが、2月23日は「富士山の日」。葛飾北斎の代表作「冨嶽三十六景」のうち、江戸から見た富士山の絵は18図ですが、とにかく、江戸の町というのは、天候に恵まれさえすれば、いつでも富士山に出会えたんだなぁとうらやましい。
もう、東京から見える富士山はごくごく少なくなりました。



◆天神様の菜種御供...2月25日→◇◇◇
如月の年中行事・縁日_c0205840_2144189.jpg2月25日は菅原道真公の命日。亀戸天神では、今日を命日として、「菜種御供」という神事が執り行われます。
天神様といえば梅。そこに春の菜の花、そして亀戸の藤...と、なんと美しいものに縁深いカミサマであることでしょうか。
# by michiru-hibi1007 | 2012-02-01 22:59 | 年中行事

閻魔詣と十人の審判官

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江戸人たちも見上げた新宿太宗寺の閻魔サマ
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そして、実はこっちのほうが恐ろしげ...な脱衣婆サン。

正月と7月の16日は、閻魔の賽日、閻魔様のご縁日。
そこに、商家の奉公人たちの少ない休日「薮入り」が重なって、この日ご開帳される江戸市中の閻魔サマは、もう大変な賑わいだったんだそうです。しかも、閻魔堂の数も相当数、ちなみに『東都歳時記』(斉藤月岑 1巻 東洋文庫)に記載の寺を数えてみれば、なんと58箇所もありました。

閻魔詣で賑わう寺の門前には、参拝客目当ての見世物小屋や屋台なども繰り出して、若者たちの一大レクリェーションだった気配も濃厚。閻魔帳を元に死者の弱みをアレコレ握っているのも恐ろしければ、見かけも憤怒の形相。そんなお方の縁日であるというのを忘れそうなこのはしゃぎようはなんなんででしょうか?
...と不可解にも思いますが、ネタを明かせば、この日閻魔サマをお参りすれば、日頃の罪を許してもらえるということだった。
ああ、なるほどですね。

「そうゆうことなら!」と真に受けているわけではありませんが、今年も閻魔詣に出かけてみました。昨年の小石川は蒟蒻閻魔サマにひきつづき、今年は新宿太宗寺の閻魔サマと脱衣婆サマをお参りする閻魔詣。上の二枚の写真はその記念にちょいと写させていただいたものです。
閻魔サマは丈六仏と呼ばれる巨大な像で、それが鎮座し、ぐわっと上からにらみをきかし、傍に控える脱衣婆サマは、脱いだ着物の重さでヒトの罪を計るという...ああ、恐ろしげですがかなりの見ごたえ。
しかし、現代の閻魔堂のあたり、人ごみどころか、ただひたすらに物寂しいばかりです。うーん、現代人は忙しく、罪の許しを請う暇もないってことでしょうか...。

ところで、この閻魔サマ。地獄のアレコレ及び死者の行く末などをひとり独占なさっているかのように思われがちではありますが、地獄の死者の裁判官は、閻魔サマを加えて十人ほどがいらっしゃり、それが、四十九日までの法要と、一回忌三回忌などと紐づいている...ってご存知でした?

この地獄思想によれば、落ちたその場が地獄なのかどうなのかも分からないうち、死者はいやおう無く審判を受ける旅路へ。それらがまあ大変で、内容の一端に触れるだけでも、もう生きているうちは善行を積むに限ると思うほどの苦難の数々が繰り広がります。
この地獄の捉え方、もとは唐の時代の中国から渡ってきたものですが、その詳細なる地獄ワールド...つまり、そこを死者がわたってゆく段取りやら、地獄の王たちをはじめとするキャスティングやら大道具&小道具の立て付けやら...は、さながら非常に出来がいいロールプレイイングゲームといった感じ。
...って罰当たりですかね。一応、はばかりながら小さい声で言っておきます。

とにかく、その創造力たるやすごいもの、せっかくなのでそのいったんだけでも以下にまとめてみましょうか。

さてさて、仏教式で弔われた死者がここにいらっしゃるとします。
白装束を身に纏いいざ死出の旅へと歩みだしてみたものの、さっそくそれは800里も山道を歩く苦難の旅。しかも、馬や牛の頭を持った鬼たちが鉄の棒をもって邪魔をする...ってな具合なんだそうです。
「ええっ!聞いてないよ!」と、言ったところでだれも助けてはくれません、とにかく最初の7日間で、なんとか、この苦難の旅を終えねばならない。そして、行き着いた場所は最初の審判官・秦広(しんこう)王の前です。

◎秦広(しんこう)王の審判は、書類審査のみ、結局、ここで結論が出るのは稀だそう。ちなみに、現世ではちょうど初七日の法要を営み、ここでよき世界に成仏できるよう供養します。
が、旅がまだまだ続くわけですから、現世の供養もそれを見越し、初七日の法要は、この先に来る三途の川を無事渡れますよう祈願する意味合いもあわせ持つんだそうです。

次に、たちはだかるのは、現世においてもポピュラーな「三途の川」
川幅約600キロ...って、「ええっ!う、うそ!」とひるむしかない広さの川を、死者は、これから渡らなければなりません。しかも、罪の具合によって、浅瀬を徒歩で渡る楽なバージョン、及び引路牛頭(ごろんず)という鬼に追いたてられ、さらに毒蛇のいる淵を泳ぐといった苦難バージョンまでが用意されているらしい。
そして、罪無きヒトには、金銀瑠璃玻璃の橋・「有橋渡」まで用意されているって具合。
あれあれ?まだ審判は始まったばかり。つまり三途の川は、死者の罪の重さをここでもう知っているということでしょうか?この川を渡る状況によって、死者は己の罪をそこはかとなく知る...ってことなんでしょうか?
うーん、ちょっと不明ですが、とにかく三途の川は、初七日の次の7日をかけて渡るんだそうです。

ちなみに、室町時代辺りから、この三途の川にも渡し舟があると考えられるようになり、その船賃が六文銭。白装束を整える時、袋に銭を忍ばせるのはこんな謂れから生まれたもののようですね。

三途の川をようよう渡りきれば、そこには、「衣領樹(えりょうじゅ)」という一本の木、枝の上には、懸衣翁(けんえおう)、下には奪衣婆(だついば)という鬼がいます。奪衣婆は、新宿・太宗寺にもいらっしゃったあのお方ですが、あっという間に死者の衣装を剥ぎ取って、懸衣翁がそれを衣領樹の枝に掛ける。枝で罪の重さを測るんだそうですが、その数値はすかさず次の審判官に報告されます。

◎初江(しょこう)王の審判
没後14日めに、死者は、裸で王の前へ。審判は衣領樹に掛けた着物の重さ(=罪の重さ)に、前世の悪行&善行を加えて引いて下されるそうですが、ここでも結論が出なければ、やはり次へとまわされます。

◎宋帝(そうだい)王の審判
この王は、「業関(ごうかん)」という関所の向こうにいらっしゃり、関所前には、16の角、12の目を持つ鬼がいるんだそうです。死者はあっという間に首枷をはめられ引きづられるように王の前に引き立てられる。没後21日目のココでの審判は、殺生、邪淫の罪などが裁かれるんだそうです。
そして、結論がでなければまたまた次へ。

...なのですが、ここにまたも難関「業江」という熱湯の川が横たわっています。川幅500里といいますから、約1 963キロメートル!しかもそこには、毒虫が住み、悪臭漂うとか。うーん、三途の川よりひどいじゃあないの。しかし、死者は、とにかく前へすすまなければならない。

◎五官(ごかん)王の審判
没後、28日目の審判は、妄語、つまり嘘をついた罪を裁くんだそうです。
裁きの道具は「業秤」と呼ばれる天秤。
一方には大石を乗せ、もう一方には逆さになって死者が乗る。そうして嘘をついた罪の重さを量るのですが、万一それが石より重かった場合は、舌を抜かれるのだそうです。
あれれ?でかいやっとこで舌を抜くのは、閻魔サマではなくて五官王の役割だったみたいですね。

◎閻魔王の審判 
35日目は、地獄の主神とも呼ばれる閻魔サマのお裁きです。なんかココまで来ると聞きなれたお名前が懐かしいほどですが、閻魔庁の裁きはさらにさらに厳しいようです。
法廷には、八面鏡と呼ばれる大鏡がすえられて、そこには、生前のすべての行為と現世の法要の様子がビデオさながら映し出されております。
さらには生を受けた瞬間からヒトには閻魔サマの見張り(=同名、同生というらしく)がついていて、すべての善行・悪行がすでに報告されているのだとか。
またまた、「ええっ!うそ!」
で、その報告書が閻魔帳。それももちろん閻魔サマの手元にあります。
かつてはコレを知ってか知らぬか、35日の法要はかつてかなり重要視されていたそう。なにせ、八面鏡に写った追善供養の様子まで審判の証拠にされてしまうんですもの当然でしょうか。
かえって、現代の法要が、ここをはしょってしまっているのが謎であるとも言えるほどです。

ああ、まだ5人の王か。まだまだ先は長そうです。

42日目の変成(へんじょう)王の裁きは、五官王と閻魔王の裁きの再審。
そして...。
泰山(たいざん)王で、やっと49日を迎えます。
泰山王の裁きはほかにはないユニークさ。王の前には6つの鳥居があって、死者は自分でどれをくぐるか自ら選ぶように命じられます。
くぐった先は転生の世界、天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄が続いているんだそうですが、鳥居の手前でそれがどこに続くのかは分かりません。
が、その一瞬ですべてはきまってしまうのです。
だから、迷うことなく上手く成仏できるように、四十九日の法要も、ことさらに重要な意味を持つというわけです。こちらの法要は、現代であってもしっかりなされていて、少しほっとしてみたりします(笑)。

◎さあ最後、残りの三人の王は、再審担当
百か日目の平等王、一周忌の都市王、そして三回忌の五道転輪王とつづき、これら三人の王の審判は、またまた現世の追善供養の有無や質も考慮される。
つまり、あの世に旅たった者のため追善供養するものがいないなどは言語道断。そんなやつは地獄へ落ちるのも止む終えない...って判断が下されてしまうんだそうですよ。

うーん。
これらの話が本当ならば、これは、ヒトは死して尚、相当な苦労が待っているってことでしょうか?
いやたいへん。

ちなみに、閻魔詣のその日には、この十人の王のそれぞれの審判の様子を描いた十王図が公開される寺も数多く。その描かれた一枚一枚が、また観てきたような臨場感。
年に2回、閻魔サマをお参りがてら、地獄の様子を垣間見れば、「ああ、やっぱ、日々善行を積もうとするがいちばん楽な方法か」
...きっとそんな風に思うはず、いやはや上手く出来てるものです。
ということで、夏の閻魔詣になったら、是非ともご覧になってくださいませ。
# by michiru-hibi1007 | 2012-01-16 13:47 | 年中行事