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1日1つの「日本的!」な楽しみ


by michiru-hibi1007

春分の日                   乙亥(きのとい)の日・旧暦2月17日

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今日は、二十四節気の「春分」。そして、お彼岸の中日です。
牡丹餅を作り、仏花とお線香を持ってお墓参り。
今年のお彼岸は、先祖が眠る場所までいけず、子供の頃から欠かさず行っていた行事が難しそうです。
とりあえず、もち米を少しだけ炊いて搗き、大雑把に丸めて、餡子、胡麻、ずんだなどをまぶす。故郷のやり方にならって牡丹餅は作りましょうか。

春分の日は、太陽が真東から出て真西に沈む。天文学的には、若干昼のほうが長いそうですが、昼と夜の長さがほぼ同じになる日です。
仏教の教えでは、太陽が沈む真西に、阿弥陀さまが住む極楽浄土があって、そこには祖先の霊が安らかに暮らしている。それが「彼岸」で、生老病死の四苦のあるこちら側の世界「此岸(しがん)」から死者の魂は、お釈迦さまや阿弥陀さまの招きを信じひたすら念仏を唱えながら「彼岸」に到ったのだとされます。

「暑さ寒さも彼岸まで」のとおりに、厳しい寒さがなんとなく遠のき、いつの間にか空き地の雑草なども小さな花を咲かせている。そんなのどかに晴れた日の夕暮れ時なら、西の空をオレンジ色に染める夕焼けはことのほか美しく。
なるほど、その彼方に、極楽浄土があると信じて祈った人々の気持ちが、現代人の心にも解るような気がします。

彼岸会の発祥は、奈良時代。
政治をめぐるいざこざにより、実の兄、桓武天皇により断罪されたは早良親王は失意のうちに絶命します。すると、その祟りでもあるかのように、皇后、母親などが相次いで無くなり、さらに天然痘が流行し死者が続出します。
桓武天皇は、その祟りを恐れ、鎮めるために御霊神社にまつり、彼岸会を執り行いました。これが、彼岸会のはじまりだそうです。
怨念を鎮めるためですか...なにか、その発祥の原因となったことはおどろおどろしく人間の煩悩よるもので、なんだか菅原道真が天神様になった経緯と似ていますね。

併せてその年、朝廷では、早良親王の霊を慰めるため諸国の国分寺僧に春秋の2月と8月(旧暦ですから今の3月と9月)の7日を限り「金剛般若経」を読むことを命じたそうです。
この僧たちが、国分寺の周囲に住む農民達に、この時期、彼岸の教えを広めたのでしょうか。
旧暦2月(3月)の春分のころは、種まきなどが始まり、古くから農耕の恵みをもたらす太陽を祀る行事が催される時期でもありました。
その行事と彼岸思想がいつしか融合し、今の彼岸の行事となったようです。

彼岸は、彼岸の入りから春分の中日を経て明けまでの七日間。
これにももちろん意味があります。
極楽浄土のある彼岸に到るには、六つの徳目を修行しなければなりません。
それは、布施(ふせ)=「ものを施し与え、法を説き、衆生の恐怖を祓ってココロを救う修行」からから始まりその後は以下のよう。
持戒=戒律を守り、常に反省する
忍辱=迫害に耐え忍ぶ
精進=ひたすら実践する
禅定=ココロを統一して安定して真理を悟る
知慧=道理を正しく判断し、命そのものを把握する。
間に彼岸の中日を挟んで、1日1徳目ずつ修行して、やっと彼岸に到るには、7日間の日数が要る。なので、彼岸の期間は7日間なのだそうです。
しかし、死者の魂は、こんなレベルの高い徳目を修め、ずいぶんとありがたい存在になって彼岸に渡っているのですね。お彼岸の日々は、ご先祖さまに感謝し、西方に沈む太陽見つめて極楽浄土をイメージする日。加えて、やがてやってくる自らの彼岸への修行を思う日でもあります。

が、よくよく考えてみれば、この六つの徳目は、現世をよりよく生きるヒントにも見えてきます。自分の生活に合わせて少し簡単な言葉を変えて、紙に書いておきましょうか。
時々取り出し、眺めて自らを振り返ってみるのもいいかもしれない。

ちなみに春分の日に彼岸の行事を行うのは、日本独自の習俗で、仏教が盛んなインドにも中国にも同じ例は見られないのだそうです。ますます、大切に守って生きたい行事に思えてきました。
by michiru-hibi1007 | 2011-03-21 11:31 | 暦あれこれ