1日1つの「日本的!」な楽しみ


by michiru-hibi1007

桜草                    丁酉(ひのととり)の日・旧暦3月10日

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桜の咲く頃は、下町の路地の鉢植えにも、もうひとつの桜が満開
家々が肩を並べた軒下やフェンス塀にぶらさけられたりの鉢植えには桜草。それが、思い思いに街をピンクに染めています。
ただし、園芸店でよく「サクラソウ」として売られているのは、やや大振りの花が咲く「西洋サクラソウ」であることが多く。日本固有種の桜草は希少ですので注意が必要。花は似ていますが、葉っぱのカタチは違うので、覚えれば見分けるのは案外簡単です。周囲がぎざぎざなのは共通ですが、日本桜草の葉っぱは小さな三角形に近いカタチで、西洋サクラソウは葉が円形に近い。

日本桜草は、もちろん日本原産の草花ですが、そう古くからあるものでもないようです。
万葉集にも詠まれた形跡もなく、聞くところによれば、平安時代の和歌にも物語りにも姿を現すことはないのだそうです。
しかし、江戸時代になると、もともと川端の原野に野生していたそれを原種として、本格的な栽培が始まり、その奥ゆかしい美しさに魅せられたのか、非常に多くの人々によって大切に育てられ、品種改良に励まれるようになってゆきます。新種の桜草を持ち寄る品評会も多く催され、園芸書のたぐいも、桜草ひとつに特化したものまでが数多く出版されます。

実際、江戸時代には、隅田川上流の尾久原...現在の荒川区のあたりの原野が桜草の名所でもあって、今ごろの季節、河川敷は一面桜草のピンク色で染めつくされたそうです。様々な品種が生まれた桜草のルーツは、おそらくそのあたりであったのだろうし、季節になれば、そこに着飾った江戸人たちが出かけ、ご馳走を食べ酒を酌み交わし、桜草摘みなどを楽しむ様子が、江戸の花名所のガイドブック「江戸名所花暦」にも描かれています。

「我が国は 草も桜が 咲きにけり」.
..と一茶が詠んだことも加えて想像すれば、桜草の花見は桜の花見と同じぐらい、重要な位置づけを持つ春の娯楽だったのかもしれません。
たしかに、桜草の小さな花に近寄ってみれば、花のカタチも桜と瓜二つ。春は、見え上げれば桜、見晴るかせば、足元からずっと向こうのほうまで桜草。
想像するだに、なんとも美しくうらやましい光景です。

が、もっとうらやましいのは、街中を巡ってやってきたという、江戸の桜草の荷い売りのこと
明治・大正の浮世絵師・菊池貴一郎(四代目歌川広重)によって描かれた『絵本江戸風俗往来』(東洋文庫)も江戸末期の考証家に斎藤月岑による『東都歳時記』と同じく、江戸の年中行事や風俗全般に詳しく、やはりこのブログを書くにあたってのもうひとつの参考書ですが、そこには桜草売りの様子が詳しく描かれています。

「“エー桜草や、桜草”と呼ぶ植木屋の荷ない売は、戸田河原辺に生い茂りて花咲く桜草で、野生の種なり。大久保辺で種を選び、根を吟味して作った名花大輪ではない。土焼の小鉢に植え付けて、ふさふさと薄紅の花でやさしく、士女がめでて買うことが多い。また売り声も鄙めきたる所、都の春に赴きを添える。...」

うーん、「土焼の小鉢に植えらえた、ふさふさと薄紅色」の桜草ですか。そんなものが、売りに廻ってくる街って、どこよりも豊かで素敵な気がしませんか?
しかも、群生は華やかであっても、鉢植えにすれば控えめなひっそりとした花。なのに、よくよく見れば、小さく清楚なそれは、とても精緻な創りです。
日本桜草には、江戸人の美学が息づいていているような気さえします。

さて、桜草の振り売りはありませんが、江戸時代の名勝地は、荒川流域の一部に残されています
多くは、度重なる治水工事や開発などで桜草の群生地は範囲を狭められてしまいましたが、さいたま市桜区田島ヶ原は、1952年に特別天然記念物に指定された場所。現代でも、4月中旬の今ごろには、一面ピンクに染められた野原を眺めることが可能なようです。
by michiru-hibi1007 | 2011-04-12 16:54 | 植物のこと