1日1つの「日本的!」な楽しみ


by michiru-hibi1007

粽                 乙卯(きのとう)の日・旧暦3月28日

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端午の節句の供物は、江戸は「柏餅」で上方は「粽」。
そんなのは、昔のことかと思いたいのですが、東京あたりで「粽」を見つけるのは結構至難の業です。
「粽」を求めたければ、つべこべ言わずに上方発祥の和菓子店にあたりをつけるのが確実。だからいつもは京都発の老舗、とらやのものをもとめるのが通例で、しかし、その場合も5月1日~5日の超期間限定。早めに行かなければあっと言う間に売切れてしまいます。
が、今年は、珍しくも神楽坂の和菓子店・梅花亭で粽を発見。売られる期間もずいぶん長く、やっとこころ穏やかにいただけそうです。
東京で粽を入手するにはかような具合。スーパーマーケットの棚にまで普通に進出してる柏餅と比べ、そうとうな緊張感を有するものです。
いや、おおげさでなく...。

さて、「粽」の発祥は、ずいぶんと古く、古代中国までさかのぼります。

時は、紀元前4~3世紀ごろ、春秋戦国時代の中国・楚の国に屈原(くつげん)というひとりの悲劇の英雄がいました。屈原は、博学にして政治的にも並々ならぬ手腕を持つ人物で、一時は、王に登用され要職に就きますが、他の官僚達の嫉妬により貶められ失脚を繰り返すはめになり、最後は、失意のうちに入水自殺を遂げます。

その亡骸は、一匹の大きな鯉によって運ばれ、故郷の人々によって弔われ、以降命日の5月5日には、鎮魂の祭りを行うのが習いとなります。その祭事のひとつとして、屈原の霊に捧げ、また亡骸を運んだ鯉への感謝として、竹の筒に米を入れ川に投げるということが行われるようになります。それが長く続けられるうち、やがて、米を楝樹(せんだん)の葉で包み、五色の糸で巻いて、今の「粽」のような形になっていったのだそうです。

これは、中国の故事ですが、5月5日、鯉、粽、五色の糸=吹流しの色...と、これで、うまく端午の節句の重要アイテムが揃いました。

粽は、おそらく端午の節句の風習とともに他のアイテムといっしょに日本に伝わり、平安時代には、まず宮中で食されるようになったのでしょう。
発祥の粽は、米を包んだわけですから、つまり食事の範疇に入る食べ物。
粽が米編の漢字で表されていることからそれは明白です。

ですが、今年の梅花亭の粽は葛と蕨粉と餡の「本葛粽」、昨年までのとらやのものも、小豆製の「羊羹粽」に、葛製の「水仙粽」、「白下糖入外良粽」の三種類で、笹の葉で包んで、イグサで束ねた姿が美しい粽の中身は、どちらも、完璧なる和菓子です。

京都でとらやと並ぶ名店菓子司「川端道喜」は、支店がないため東京ではあまり知られていませんが、室町時代末期の初代から15代続き、明治初年に天皇が東京に移るまでの300年間、ずっと「御朝物」=天皇の朝食の餅を献上し続けた由緒ある名店。
実は、京都でただ粽屋といったらこの店のことをさし、もちろんその筆頭名物は「道喜粽」。それも、東京ではなかなか入手が難しいまぼろしの粽なのですが、果たして、そちらの粽はどうかと京都の友人に尋ねれば、やはり「水仙粽」と「羊羹粽」なのだそう。

うーん。
粽もいつしか、包む葉が笹に変わるにつれてか、軽く爽やかな初夏のお菓子に華麗なる変身を遂げてしまったのでしょうか?

柏餅の記述も詳しかった、喜田川守貞『守貞謾稿』をまた紐解けば、「粽は、葦に図のごとく新粉を付け、その表を菰(まこも=イネに似た植物)の葉をもって包み蒸す。」と粽に関する記述ももちろん詳しくあって、そこは、葦の茎を短く串状にしたものに、粉を餅状に練り付けたような図が添えられています。
この粽は、「菰を解き去り、砂糖をつけて食す」ものだったと解説は続き、それを読んだところで、「ああ、それなら子どものころに田舎で食した粽といっしょだ!」とにわかに記憶がよみがえった次第。
もう、ずいぶんいただいていないためすっかり忘れていましたが、たぶんここに書かれた「江戸の粽」は、東日本一円に広がったとみえて、高度経済成長時代の昭和の子どもの口にも入っていました。それは、笹で包んで萱でぐるぐると止める...と『守貞謾稿』の記述と素材は若干違っていますが、その形の包みをあけると、中身は、白い味のない餅で、確か、砂糖を醤油で溶いたタレで食べたはずです。
しかし、当時の東北の子どもには、笹団子のほうがずっと有名だったため「餡子の入ってない笹団子」と呼んで、「それは粽というものだ」と教えらました。
もしかすると、いまでも東北のどこかの家庭には、団子や餅を包んで蒸した手作りの粽が存在しているかもしれません。

『守貞謾稿』の話題は、「京師、(川端)道喜と云える菓子工に製する物」の話につづきます。
「それは、砂糖入り「粽」もって、串なしに造り、表に笹葉を包み蒸す」もので、「号して道喜粽と云い」とありました。当時も老舗であった川端道喜は老舗の名に恥じず、常識から一歩進んで、当時にしてはユニークな粽を作り、ずいぶん話題にもなっていたようです。

それが、他の京の菓子屋にも影響を与えて、やがて端午の節句の伝統和菓子として今に至るということでしょうか。
といっても、粽が、厄除け魔よけの供物であることには変わりなく。
その願いをこめながら、美味しくいだたくこととしましょう。
かつて、粽を包む葉が茅萱だった頃には、中身を食べたあとには、それを陰干しにして薬に用いることもあったのだそうです。
確かに、それが笹の葉に変わった今でも、皮を剥くときただよう芳しさ。五月の草は、少々の体調不良などすーっと容易に祓ってくれそうな、そんなチカラを持っているかのようです。

中身を食べ終えたあとも、しばらく、清涼なる香りが、あたりに漂いつづけます。

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4月17日の記事、更新しました。
by michiru-hibi1007 | 2011-04-30 17:21 | 和菓子歳時記