人気ブログランキング |

カテゴリ:小さなカミサマ・縁起物( 13 )

c0205840_1826544.jpg


神田明神さんは、お江戸の総鎮守といわれた頃には、将軍サマから江戸庶民にいたるまで、そこに住まう者を分け隔てなく守り、現代だって、氏子町の範囲は、神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸の内など108町。その人口密度を考えてみれば氏子の数も、日本一といってもいいんじゃあないだろうか。
どうなんだろう?

その神田明神がお祀りするカミサマは、大己貴命(おおなむちのみこと)つまり別名大国主命(おおくにぬしのみこと)、少彦名命(すくなひこのみこと)、平将門命(たいらのまさかどのみこと)の御三神。

ことに古くからお祀りしている大己貴命、少彦名命は、古事記ワールドのお方。手を携え協力体制にて、葦原の中つ国=つまり日本国土を作ったカミサマ方です。
そんな方々が祀られているこその御由緒の深さとも申せましょうか?
ことに、この神社では、そのまま大己貴命=大黒さん、少彦名命=恵比寿さんと、同じ神格として扱われ、大黒&恵比寿がことあるごとに大活躍です。

まずは、お正月早々から授与いただける「二福神」
写真のように、一刀彫の恵比寿大黒像が小箱におさまり(初穂料2000円)、これがなんとも可愛らしく。さらに、この二神のご利益=国土経営、夫婦和合、縁結び、商売繁盛、医薬健康、開運招福...をまとって我が家にいらっしゃる。
...たぶん。

そして、1月14・15日の大黒祭には、境内には、恵比寿サマと大黒サマがいらして、なぜか流れる「商売繁盛でささもってこい!」のアナウンス。参詣者たちは、大阪の「十日戎」のように福笹を求め、思い思いに選んだ縁起物をぶら下げていたりします。
そして、福笹を授与されれば、それぞれ恵比寿さんには、「福鈴のお祓い」を、大黒さんには「内手の小槌のお祓い」までもしていただける。
明かせば、むろん、被りお面に装束による扮装ですが、お傍でお会いすればそうと侮れないありがたさです。

さらには、きたる2月3日の節分祭にも。
恵比寿さん&大黒さんは、舞の奉納やら豆まきやらとまたも大活躍するんだとか。
ああ、これは、忘れずまたもお参りしなければなりません。

さて、大己貴命=大黒さん、少彦名命=恵比寿さんと、同神格になった由来をおおざっぱに。
大己貴命は、別名の大国主命のダイコクの文字が由来で、もとはインドのカミサマだった大黒(ダイコク)さんと習合、大己貴命=大国主命=大黒天ということになっております。
一方、少彦名命は、ガガイモというマメ科の植物で作った小さな船を濃いで海からやってきて、また海の向こうの常世へ行ってしまったカミサマで、おそらく「海」つながりということで恵比寿さんと同じカミサマとする説が生まれた。
ちなみに、恵比寿さんは、イザナギ&イザナミの間に骨のない子=蛭子神として生まれ、海に流されて、いつしか今の恵比寿神のお姿で帰っていらしたともされる...なので「海」つながりってことです。

もちろん、これらは、神田明神オリジナルの解釈ではなくて、様々な説があり、そのおひとつを採用されたというお話かと。
ああ、つまり、カミサマ方のお話は、古すぎるぐらい古いので、その物語は様々にて、どこかの時代に都合よくも解釈された風も有り当然のごとく奇想天外、すっきりしないものなのです。
でもそこが面白くもあり、たとえば、恵比寿&大黒さんは、民間信仰の代表格。
神田明神のご祭神に関する解釈は庶民の側を向いていたからこそ...ともとれて、それが、江戸の庶民のココロをぐぐいとつかむ役割を担っていたのかもしれません。
...想像ですが。
by michiru-hibi1007 | 2012-01-15 18:22 | 小さなカミサマ・縁起物
c0205840_16262366.jpg
正月七日の人日の節句・七草粥の日が近づくと、正月飾りの華やかさの陰で、ひっそりお目見えしている感のある「七草籠」

春の七草、芹、薺(なずな)、御形、繁縷(はこべら)、仏の座、菘(すずな)、蘿蔔(すずしろ)を小さな籠に寄せ植えし、木の名札を立てた...それだけなのになんとも粋でめでたい感じがするあれですが、我が下町では、店の軒先やら個人宅の玄関口やらにいつのまにやら飾られ始め、七草の日が過ぎてもそのまま置かれる。
あんがい夏ぐらいまでそのままで、籠の中身のほうは、もとは雑草と野菜なもんで悪条件でもすくすくと育ち、道行くひとは、その成長具合を日々楽しんだり...と、いつしかのどかな風景が繰り広がります。

この「七草籠」のアイデアは、向島百花園を開いた佐原鞠塢(きくう)によるもので、彼の著作『春の七草考』に添えられた挿絵や当時流行の芝居に登場、江戸人たちになじみになった「なづな籠」などから考案したものといわれています。
実際、ずいぶん古い時代から、正月の飾りとして鞠塢の交友先に届けていたんだそうです。
それは、佐原鞠塢が逝って代替わりしても、さらに新しい時代の明治に入っても、年末年始の佐原家のご挨拶用として続き、やがて宮中にも献上されるようにもなります。
こんな七草籠がお年始なんかに届いたら、ちょっと...いやかなり嬉しいでしょうねぇ。
ああ、うらやましい。
...と、そんなこんなで、それがなんとなく真似されて、花屋の店先などでも売られるようになったということでしょうか。

ところで、この佐原鞠塢(きくう)という江戸の人。
「七草籠」もしかりですが、そもそも百花園の成り立たせ方からしてもう相当なプロデューサー振りを発揮した方でありました。

もとは、仙台の産。成人してから江戸に登り、しばらく中村座の芝居茶屋・和泉屋で働いたのちそこでためたお金を元手に日本橋住吉町に骨董屋を出します。
奉公の時分から、客あしらいが上手く人に好かれる好人物だったとか。加えて商才もあって、店は繁盛。骨董店には、当時の文人墨客があしげく出入りするようになり広い交友関係を作られていったんだそうです。
しかし、40歳手前で商売上で、賭博容疑をかけられ捕縛、さっさと隠居してしまいます。

ちなみに、佐原菊塢は隠居後の名前で、その名で、現在の墨田区向島あたりに隠居所を構えてからの活躍のほうが興味深く、百花園はその筆頭でもあります。

園芸に非常に興味をもっていた菊塢は、1804年に向島墨堤のほとりに3000坪の広大な土地を求め、まずはそこに300本以上の梅の木を植えます。
当時人気だった亀戸の梅屋敷の向こうをはってその名も「新梅屋敷」。
これが、「百花園」の前身で、その後、骨董屋当時から交友があった文人たちの力を借りて...というより、プロデューサーとして結集させて、万葉集や詩経など日本や中国の古典に登場する花木・草花を集め、まさに「百花」園の名にふさわしい庭園を作り上げてゆくのです。

さらに、PRにも手腕を発揮。
たとえば、谷中七福神と江戸最古を争う「向島七福神巡り」は、佐原菊塢の考案とも言われ、この周遊コースはたちまち流行り、もちろんそのコースのひとつ福禄寿さんのいらっしゃる場所を百花園と定め、来園者を急増させもしたんだそうです。

もちろん、百花園そのものも、やって来て退屈しないアレコレの工夫がこらされていました。
たとえば、複製ですが今も残されている門額は 太田南畝(蜀山人)の筆で「花屋敷」。両側の柱にある細長い額・聯(れん)の「春夏秋冬花不断 東西南北客争来」も、当時著名な書家・大窪詩仏によるもの。
そもそも「百花園」という命名自体も、姫路藩主の弟にして当時人気の絵師&俳人であった酒井抱一なんだそうで、もうその入り口付近で観るもの聞くものからして、当時でいえばものすごすぎる有名人満載。

ちなみに、太田南畝の「花屋敷」の文字の「敷」が、崩して判らないように書いてあるのですが、それも当時のまま。江戸時代に「屋敷」といえばそのまま武家の持ち物でしかなく、町人が経営する庭に「屋敷」などとつけるのは実はご法度。
この崩し字は、そこを知ってて黙認されていたあかしでもあって、そんなところも当時からの観どころだったんじゃあないでしょうか。
なんだか江戸人が好みそうなエピソードです。

さて、さらに菊塢は1819年に園内に窯を築き、隅田川周辺の土を使った楽焼も行います。
なずけて「角田(隅田)川焼」。
百花園には、当時から茶屋があって、来園者たちは、そこで梅干やらお煎茶やらを味わったということですが、梅干およびお茶の葉は園内の梅の木あるいは茶畑で採れたもの。そして、それをいただく茶碗や皿はその「角田川焼き」によるものだった。
これらも来訪者にとっては楽しいバリュー。
さらに、市場で販売する際の上手い宣伝にもなったはずです。
そんなこんなも、土産話に伝わって、われもわれもと来園者は増えていき、百花園のお茶代の売り上げだけで現代に換算して1日10万円以上にもなったんだとか。

...うーん、隠居というより、立派な事業。たいしたものです。

こうして、佐原菊塢は、70歳で逝くまで文人墨客達に囲まれ、好きな園芸を楽しみつつ、それを仕事に成り立たせ、生きた。ちょっとうらやましい人生ですね。

さて、話は戻って「七草籠」。
写真は、年始を寿ぐ意味で作られる、ジャンボ七草籠。
正月7日に、百花園を訪ねれば、その製作過程とともに、皇室へ献上される「献上七草籠」なども見学することが可能だし、もちろん、庭園内で七草粥を楽しむこともできます。

百花園は、東京大空襲でそのすべてが焼かれ、実は、戦後に東京都の公園として再建されたものですが、入り口の門額も聯(れん)ももとどおりに復元されて、七草籠の展示や七福神巡りに始まる四季折々の行事も多彩。
訪ねればやはりそこはかとなく楽しいところで、佐原菊塢その人の精神も健在な場所のままで今に続いているようです。

...なあんて、こんなネタを書くにはちょっと日にちがたちすぎました。
庭園内には、こんな七草のじか植えコーナーもあり、今年はコレで七草たちの成長を楽しみつつ、是非とも来年に備えてください。
c0205840_16455190.jpg

ちなみに、「七草籠」も少量ですが一般への予約販売もなされているようですよ。
by michiru-hibi1007 | 2012-01-07 16:22 | 小さなカミサマ・縁起物
c0205840_12324381.jpg

浅草寺の「羽子板市」も、とうとう今日が最終日になりました。
豪華絢爛な押絵細工の羽子板は何度見ても、うっとり美しいものですが、最後に、ちょっと忘れちゃならないのが板で突かれる「突羽根(つくばね)」のほう。
1個、2個では、ちょっとキレイなおもちゃ...といった感じしかしないこれが、専門の屋台で、まとめて売られる様子はカラフルで圧巻。
羽子板とは違った意味での美しさです。

羽子板の縁起担ぎは、”邪気を跳ね返す「板」”であることに対し、突羽根の縁起物としての意味合いは、華やかな羽根ではなくて、先端にある黒く丸いものにあるのだそうです。
今は、いろいろな素材で作られるようですが、この部分は、ムクロジという植物の種で作るのが正式。ムクロジには「無患子」という字が当てられていて、つまり「子が患わない」。
...と、子どもが健やかに成長する願いがこめられたものなんだそうです。

さらに、かたいムクロジの部分を「豆=魔滅(まめ)」と見立てて、魔除けになる。
あるいは、”マメに暮らせる”。
羽子板に突かれた羽根が、害虫を食べる「トンボ」に似ているので、”悪い虫がつかない”。
...などなど、江戸人たちは、駄洒落、こじつけなんでもありで、女児の魔よけになる方向にたくさん縁起を担いだもようです。

さて、ぐるり屋台を突羽根中心に観察したところによると、種類は、大きくわけて写真のふたつ。
c0205840_1234373.jpg

すっと尖ったものと、羽根が大きく開いたもので、おそらく飛び方が違うのでしょう。

これらが、竹の棒に数個挟んで売られていたり、巾着風の袋入りだったりと売り方の一工夫も嬉しくて、それでだいたい1000円ぐらい。
羽子板一枚買うには、ちょっと覚悟がいりますが、これなら縁起物としても気軽です。

ええっと...女の子というには、ややとおの立った者ですが、ふたつもとめて、来年の健康の御守りといたしたく思います。
by michiru-hibi1007 | 2011-12-19 12:25 | 小さなカミサマ・縁起物
c0205840_10225272.jpg

「越後屋お前も悪よのぉ」
「お代官さまこそ...」
...と、毎年、授与所に飾られるコレを眺めるたびに、よこしまな台詞のやり取りが脳裏を走ってしまいます。
日ごろ大きなお金を見ない貧しさのせいか、それとも単なる罰当たりなだけなのか。
どちらにしても、毎年毎年凝りもせずココロの中でこんなせりふをつぶやいてもしまう。

毎月18日は観音さまのご縁日。
特に師走のそれは、一年の締めくくりの意味を込め「納めの観音」
といわれ、併せて羽子板市が立つという事情もあって、いつも人出の多い境内は、さらに多くの参拝者で大混雑です。
その「納めの観音」にお参りしたら、羽子板以上にちょっと忘れず眺めたいのがこの小判の山で、これは昨日・今日から年末にかけて期間限定で授与される浅草寺の縁起物。
切り餅と言われた金の小判の包みに赤で描かれた大黒さまの福福しい笑顔。いかにも縁起がよさそうな意匠を選んで、その名もストレートに「縁起小判」と申します。

手に取れば、けっこうずっしりと重く切り餅と呼ばれた本物の小判の包みってこんな感じだったのかしら?
...などとも思わせる、カタチも重さも豪華な小判風ですが、授与いただくにはひとつ300円。かなりリーズナブルで、さらに、御利益は「新年の福徳」とバリューもばっちりな感じです。

これは、家の神棚などに飾って拝み、1年たっても、お焚き上げの必要などはないそうで、ひとつから、はじめて毎年少しずつためてゆくものなのだそうです。
ふーんそうなんだ。
c0205840_10251293.jpg

少しずつ「福」を貯めつつ、「徳」も積んでいきなさいということですね。

この御利益の意味を、よーく考えてみるとかなりな深さ。
仮に「福」だけならぼんやり喜ぶとしても、そこに「徳」とつけられるとやや意味合いが変わってくるように思います。福は、運がよければ勝手にやって来てくれそうにも思いますが、徳は自ら積むものです。
なので、福&徳となれば、近くから大黒さまの小判に見守られつつ、毎日自ら努力せよってのが正しいところなんでしょうね。

というより、どんなお守りも実はもともとずっと前からそうゆうスタンスでいらっしゃる。
お守りがあればオッケーの他力本願ってわけじゃなく、「私をきっかけとして、努力してね」というもの。
これは、今年このようなブログを書いてみようかと思ったことをきっかけに、ずいぶん多くの縁日と縁起物のことを知り、そこで、学んだひとつの真実とでもいいましょうか。

いや、まだ、ややかすかな確信...なのではありますが、きっとたぶんそうゆうことではないかと思うのです。
by michiru-hibi1007 | 2011-12-18 10:21 | 小さなカミサマ・縁起物
c0205840_1021262.jpg

今年は、11月初旬から酉の日が巡ってきたので、酉の市は三回。
今日はその「三の酉」の日となります。


かつてより、「三の酉」まである年は火事が多いといわれ、縁起熊手には「火の用心」の札を貼り売り出したりしてちょっと特別な気を使います。
といっても、酉の日というのは、十二支を日付に当てはめただけのもので、同じ干支の日は12日おきに巡ってくる計算。とすれば、11月1日~6日の間に一の酉があった年は、普通に三回酉の日が来てしまうことになり、実は三の酉があるのはほぼ1年おきです。

そんなにしょっちゅう火事の多い年などきていただかなくても良いものを...とも思いますが、火事は江戸の名物に数えられるほど頻繁に起こり、家と人の命を奪っていった。
江戸は、政治の中心地となってからこっち、各地から人が集まり民家が密集。
紙と木でできた町は、ことのほか火に弱く、江戸の町はどうやって大火事を防ぎ、火事から人を守るかがずっと大きな課題でもありました。
だから神仏にもよくよくお願いもして、江戸東京の町々にあるお稲荷さんはたいがい火防のご利益をもつものだし、火伏せ神を祀った秋葉神社や愛宕神社も、どこかの神社に合祀された小さな祠のものを数えていけば、あそこにもここにも...と、けっこうな数をみつけることができます。
だから、火で暖を取ることも多くなるだろう冬の季節の風物詩・酉の市のお酉様にもやはり、ちょっと火事の心配をしていただきたくて...みたいなことなんでしょうね。

加えて、三の酉の日には「吉原遊郭に異変が起こる=つまり火事になる」という噂もあったんだとかで、となれば、もしや女房たちの逆PR説というのもあって、それならそれで面白いかも。
酉の市が立つ、鷲神社と長國寺の裏手は、すぐに吉原遊郭で、お酉さまの日は、すべての門が開いてかなり積極的に客引きをした。
そんな日が、年によっては一月に三回もです!
「ちょっとお酉さまへ」と、わざとらしい言い訳をして出かけた亭主ども。かれらが、まっすぐ家路につくよう可愛いうそをついたのが、あるいはその最初かもしれません。

さて、嘘かまことか、俗信か科学的な根拠があってか...などはどうでもよくて、空気が乾燥するのに対し火を使うことが多くなる冬ならば、やはりしっかり火の用心です。
三の酉のある年は、長國寺から特別な縁起物「火防せ守り」が授与されて、それが写真のように江戸の火消しの纏の意匠。
いなせなコレは、火の元近いキッチンなどに祀り、日々ココロに火防せを刻む冬としましょう。
c0205840_1028878.jpg

ちなみに我が家では、こんな風にお祀りしました。
by michiru-hibi1007 | 2011-11-26 16:02 | 小さなカミサマ・縁起物
c0205840_94089.jpg


今日は、11月2回目の酉の日「二の酉」につき、「熊手守り」のお話など

酉の市といえば、門前の露店で売られる派手でにぎやかな「縁起熊手」。
竹製の熊手に、隙間無く飾った、オカメさんやら七福神やら、招き猫、小判に鶴亀...etc。その一本の熊手が縁起の”良いもの見本帖”みたいな感じ。それを売り買いする威勢のいい掛け声とキレの良い「手締め」の音も加わって、現代の東京に江戸の活気を呼んでいるようでもあります。

派手な縁起熊手を眺めるだけでも楽しくて、小さなものから求めて、商売繁盛の縁起を毎年少しずつ大きくしてゆこうかしらん...とも思うけれど、そういえば、商売人でもないのにそれってどうかしらと二の足を踏む。

写真は、知る人ぞ知る、熊手の意匠の「熊手御守り」、通称「かっこめ」。
こちらは、毎年酉の市にのみ浅草・鷲神社から授与されるもので、シンプルで小さく、ご利益の「開運・金運向上」も商売繁盛よりも、しっくりとくる感じ。
農具の熊手を竹で模り、お札と稲穂をあしらい、中央に金紙を飾ったシンプルな意匠がなかなかに素敵です。稲穂はもちろん豊作祈願の意味を持ち、開運のお札に、金紙は金運を呼び込むためのものなんだそうです。
毎年、派手な熊手は目の保養用とさせていただき、昨年のものと取り替えていただくのはこの「かっこめ」...というのが習慣となりました。

さて、江戸・東京の年中行事の参考書『東都歳時記』(齋藤月岑 3巻 東洋文庫)、『東京年中行事』(若月紫蘭 2巻 東洋文庫)、『絵本江戸風俗往来』(菊池貴一郎 東洋文庫)などなどを紐解いてみれば、当然のことながら、どれも、かなり詳しい「酉の市」の項です。

そして、もっとも気になるのが、そこで売られていたとされる縁起物の数々。たいがい<熊手、芋頭、粟の餅>とあって、最後に<熊手の簪>とあります。
それは、もちろん女性たちが髪に刺し縁起を担いだものでしょうが、売り手をごまかし盗んだ簪が縁起がいいなどの迷信まで生まれ、混雑にまぎれて万引きまで横行した人気の酉の市グッズだったようです。
実は、それがいっとうほしく、しかし、日本髪の少ない現代にはそんな粋な縁起物は存在していないのが残念。
歌川広重の名所江戸八景「浅草田甫酉の町詣」を眺めれば、隅にちらりとそれ風のものが描かれていて、それがもしや熊手簪ならば、さらっとシンプルなデザインで粋。
ちなみに、名所江戸百景の「浅草田甫酉の町詣」の酉の町とは、現在の浅草・鷲(おおとり)神社の酉の市のことで、なんとなく、神社からいただく「熊手守り」に似ていなくもない。
もちろん、簪にするには、ちょっと大きいですけれどね。

一方、「熊手守り」じたいの記述は少ないですが、ただひとつ『東都歳時記』に、<社内には、熊手の笄簪(こうがいかんざし)ひさぐもの夥しく、これを首に刺さば運つよく、いっさいの魔事を祓い、よろず勝利を得とて、ひとみなもとめて土産とし>とあって、簪とかいっているけれど、添えられた挿絵をよーくよく見れば、鉢巻や襟首に簪にしては少し大きい熊手型のものを差した男性が数人。これってもしや「熊手守り」のことじゃあないかと思う次第。「熊手守り」のルーツも江戸にあってかつてコレも複数の露店で売られていたのかもしれず、その後、こちらは神社から授与の縁起物になって、今に残されているのかもしれません。

ともかく、道具の熊手を見て、女性が飾る熊手型の簪を考えた江戸人がいて、熊手簪が人気を呼ぶと、またそれを参考にして「飾り熊手」意匠したヒトがいた...ということでしょう。
そして、それらのデザイナーたちはことごとく無名の誰か。同じく熊手を真似て、小さな熊手型の御守りも作って商売を試みた...ということでしょうか。

実際、日本の縁起物の多くはこんな風に生まれ、多くのヒトが真似して工夫して、洗練を重ね今に続くものが多いものです。

そして、それそのとおり、この「熊手守り」も、酉の市が立つ神社では、必ずといってよいほど用意されて、「熊手」と「稲穂」と「神社のお札」という基本要素を守りながらも、それぞれデザインが微妙に違う。
ひょっとすると「熊手守り」のコレクターもひそかに存在するんだろうなと思わせる充実振りです。

さあ、今年も無事「熊手守り」をいただいて、運もいっしょに自宅までお越しいただきます。今年も一年、運をかっこむためにご尽力いただきたく。、どうぞよろしくお願いいたします。
by michiru-hibi1007 | 2011-11-14 09:32 | 小さなカミサマ・縁起物
当ブログにおこしいただきありがとうございます。

そして、大変もうしわけありません。

これ以降の記事は、加筆して、新ブログ「ミチル日々」へ引っ越しました。
よろしければこちらでお読みください。

菊被綿って、めっぽうカワイイ行事が、重陽節句から敬老の日+翌日まで!/9/15=旧8/22・己丑
by michiru-hibi1007 | 2011-09-15 09:57 | 小さなカミサマ・縁起物
当ブログにおこしいただきありがとうございます。

そして、大変もうしわけありません。

これ以降の記事は、加筆して、新ブログ「ミチル日々」へ引っ越しました。
よろしければこちらでお読みください。

芝大神宮の超有名な縁起物「千木箱」/9/16=旧8/23・庚寅
by michiru-hibi1007 | 2011-09-14 00:01 | 小さなカミサマ・縁起物
当ブログにおこしいただきありがとうございます。

そして、大変もうしわけありません。

これ以降の記事は、加筆して、新ブログ「ミチル日々」へ引っ越しました。
よろしければこちらでお読みください。

芝大神宮の秋祭は、9月11日から10日間。だから「だらだら祭」と申します。/9/11=旧8/18・乙酉
by michiru-hibi1007 | 2011-09-11 09:59 | 小さなカミサマ・縁起物
当ブログにおこしいただきありがとうございます。

そして、大変もうしわけありません。

これ以降の記事は、加筆して、新ブログ「ミチル日々」へ引っ越しました。
よろしければこちらでお読みください。

浅草寺の「四万六千日」の人知れず人気の縁起物「雷除守」/旧6/14・壬午
<2014年7月10日から公開>
by michiru-hibi1007 | 2011-07-10 13:56 | 小さなカミサマ・縁起物