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1日1つの「日本的!」な楽しみ


by michiru-hibi1007
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カテゴリ:植物のこと( 43 )

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歳の瀬の縁日の一角で開かれる植木市。
その定番は、万両、千両、南天の鉢に福寿草の苗などなどと、とかく縁起の良さで品揃えされておりますが、案外はずせないのが「お金のなる木」。
寒空のしたなんとなくみな元気がなさそうに見える中、この花ひとつ満開の花を咲かせておりました。
花月(かげつ)あるいは黄金花月(おうごんかげつ)と美しい本名を持つこの花は、ちょっと前の植木市ならその名を使っていたと記憶します。
が、近ごろは、植木のそばにはしっかりと、「金のなる木」あるいは「成金草」と札がつく。
...「ナリキンソウ」って読めばいいんでしょうかね?なんかちょっとあからさますぎまいか。

「お金のなる木」は、案外求めるひとが多いのかあるいは偶然なのか、一回りして戻ってみれば売れたあと。
わがご近所の下町にも、路地裏あたりで丸い多肉植物の葉っぱの鉢や地植えを見かけることも数多く、こうして縁起をかつぎ買われてきたものなのかもしれません。
確か、大きく育ったものは、暮れから正月があけて、寒さが本格化する2月直前ぐらいまでピンクの可憐な花をつぎつぎ咲かせる。
そういえば...と帰る道々、なじみのそれをさっそく探せば、ほらほら、写真のように満開でした。

ちなみにこの木、英語名も「dollar plant」というらしい。
丸い葉っぱがコインに似ているからなんだそうですが、それが、昭和の初期に日本に入ってくるや、ある園芸業者が若い芽に5円玉を通しそのまま成長させて、「どうだい!お金がなってるだろう」...とやったんだそうです。
多肉質の植物の常で、ほんとの花を咲かせるにはけっこう時間がかかり、この種は、5年ぐらいの月日が必要。ほんとの花が咲くまでの間、5円玉なり咲かせておくのも一興かなと思ったんでしょうか。
あるいは、英語名からの連想もあったんでしょうね。

千両、万両しかり、江戸人から平成人まで変わることなく、正月用の樹木は、とかくお金方面に縁起が担かれてゆく傾向があるようですが、これって、一般庶民の性なんでしょうか。
「お金の成る木」は、そんな俗な販売保方法に加え、花の少ない時期に花咲かせる種というのも手伝って、いつしか密かに正月用の植木の仲間入りを果たしたってわけです。

さて、個人的には、たとえば、元旦の朝、初日の出を浴びて花の咲くのを目にしたら、今年は何かいいこと起こるとか...そんな話にしてほしかったなぁと思う次第。

だって、だってね。
この木の花の咲く様子ってば、路地を曲がって偶然のごとくに出くわしたらなら、お金というより、もっとずっと大きな幸運を運んできてくれそうなたたずまいなんですから。

疑うむきは、ためしにご近所にて、このピンクの花を探して眺めていただきたく。
きっと来年、いいことがありますよ。
by michiru-hibi1007 | 2011-12-25 12:37 | 植物のこと
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ひと月以上前の、11月8日から12日が、七十二候の「山茶始開(さざんかさきはじめる)」。
東京地方の山茶花は、記憶の限り、確かにそのとおりの咲き始めでした。その後しばらく、ぽつんぽつんと地味に花を咲かては散らしつつ、やがて年越しをして、来年の2月ごろまで山茶花の花の頃はかなり長い。
しかし、その盛りはなんといわれようと、この歳の瀬で、ちょっとお使いに出ただけでも、あっちのお庭にこっちの路地に、なんか10m間隔ぐらいで出会える感じ。
この年末に山茶花の花がせっせと盛大に咲き誇っております。

しかも、今頃の山茶花といったら、葉っぱより花が優勢。
遠くから、なにやら赤やピンクのかたまりが見えて、「何の花かなぁ」と思って近づくと山茶花だったりということが続きます。

普段は、その根元に散った花を見てやっと区別をつける椿とも、写真のようにこんもり咲けば、その差は一目瞭然。
椿は、こんな風に葉っぱを覆うようには咲かなかったかと思います。

さてこの華やかなものが、クリスマスイルミネーションの影に隠れ、さらには更なる歳の瀬のあわただしさに紛れ、年が明けても、初詣やらなにやらと...ハッと気づけば、季節は椿の開花の時期に入り、一方何故だか山茶花の花も椿を真似たように控えめに咲くようになってしまう。
1月の小春日和の日々に、街路の植栽やら、公園の生垣やらでも花をつけ、山茶花の開花する場所は少しずつ増殖してゆくように見えますが、存在感は少しずつ小さく地味になってゆきます。

そして、春近づけば、それらはたいがい緑の葉っぱの中に点々と、赤やピンクのドットを打つばかり。もうこんもり感は皆無で、歳の瀬の華やかさはありません。

さてさて、これは一般的な、山茶花の咲き方なのか、それとも品種がちょっと違っているのか...。
実は、今年の初めにもそんな山茶花のことこのブログにくどくどと
しかし、あっという間に1年が過ぎ、「ああ、そういえば、いまだ調べがついてないな」と、華やかに咲く山茶花を眺め、改めて気がつく怠けぶりです。
...これは、さらに、年越しの宿題とさせていただきつつすみません。

ともかくも、歳の瀬の山茶花観賞をお忘れなく!
...といいたいばかりに、ここにちょっと山茶花のこと書かせていただいた次第です。

by michiru-hibi1007 | 2011-12-21 18:45 | 植物のこと
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万両に...。
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千両に...。

お正月に大活躍の花、「万両」に「千両」です。

枯れた冬場に赤い実をつけるのが、正月を華やかに彩りもするから景気の良い名がついたのか、それとも名がめでたいからお正月の縁起物なのか...どっちがさきかはわかりませんが、「千両」は切花で、「万両」は鉢モノが一般的なようで、もう花屋の店先をにぎわしております。

「千両もあると嬉しくてなんとなく見せたくなるから実が上につき、それが万両になると泥棒が怖いので隠しておこうかと下に実がつく」
...と、確か在りし日の祖母が教えてくれたように思います。
ああ、お金の話かと子供ゴコロに察しはつくけど、千両も万両もその価値についてはトンと分からず。
千両→少ないながも見せびらかしたい→実が葉っぱの上につく。
万両→さすがに多すぎて隠したい→実が葉っぱの下につく。
と、かなりシステマティックに記憶します。

後に、換算の仕方で違いはあれど江戸初期ならば一両がほぼ10万ぐらいの価値があったと知って、何故か赤い実の「千両」「万両」を思い出します。
当時の価値で、千両=一億円、万両=十億円...ですよね。
どっちも隠せよ盗まれたら大変だ!
...と祖母になのか、目立って赤い実をつける「千両」に対してなのか、とにかくココロのなかで突っ込みつつ笑います。

「万両」と「千両」の名前の由来は、ほかにも説がいろいろとあって、記憶するかぎりをちょっと並べてみましょうか。
◆シンプルなのは、果実の数が多い順に、多いは「万両」、少なめは「千両」。
確かに、「千両」は、パッと開いたぎざぎざの葉っぱの間に、小さな実を花のように固まってつけ、軽やかな感じ。対して「万両」は、葉っぱのひさしの下に、小さなさくらんぼみたいのがたわわに実ってやや重たそう。
...そんな感じはしますけどね。

◆そのみかけどおりに、垂れ下がって実るから重く「万両」、上向きに実る程度に軽いから「千両」。...なんてのもありましたね。

◆次に、屋外の植栽などで、実はすぐなくなってしまうのは「千両」で、「万両」は、ながく実が残っているから。
これは「千両」も「万両」も鳥の餌として狙われやすいものの、葉っぱが被さりガードする「万両」よりも、障害物無く上向いた「千両」のほうが食べやすいというだけの話かと思います。
そこから、つまり使っても、残が多い=万両、少ない=千両ってことでしょううか。

ただし、鳥に食べられるというのは、体内に入れられ運ばれて、やがて糞に含まれ土壌へと。そこで芽吹いて育つ、つまり、繁殖力も高くなる。
植物の繁栄という点においては、隠しておく「万両」よりは、オープンな「千両」のほうが、未来への投資効果が高い種ってことになったりして...と思ってみたり。
ふふふ、へらずぐちでしょうか。

まとめてみれば、つまり、この植物は、実りの量で、名前を決められてしまったということでしょうか。

実は、これに続いて、「百両」「十両」「一両」もあり、それらも、名前の示す数に併せて、少しずつ実が小ぶりになったり少なくなったり、木々の背が低くなったり...。
一斉に実る冬場の赤い実、どれがどれかと覚えているうち、実の量の過多で整理して名前をつけたら、なんとなく景気がよくなってしまった。
あんがい、そんな風なたわいない話であったような気もします。

ちなみに、「百両」は「唐橘(からたちばな)」、「十両」は「藪柑子(やぶこうじ)」、「一両」は「蟻通(ありどうし)」がそれぞれその役割を担っております。
百以下になると、ちゃんと本名があるところがややこじつけ臭いものですが...。

そして、名のある日本庭園などをへ行けば、「万両」から「一両」まで寄せ植えなどして、「千両万両、蟻通(ありどおし)」、つまり、”千両も万両もいつでもあるよ”とか。
モッコクの根元に千両、万両あわせて植栽し、やっぱり、「千両、万両、もっこく」で、”千両、万両もちこむ”とか。
かなりまじめに言葉遊びして庭木を配し、それを通して縁起を担く。

日本人って、なんだかこうゆうことを、遊び感覚でやってしまうのが得意...というより好きなのかもしれません。
by michiru-hibi1007 | 2011-12-12 13:41 | 植物のこと
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蜜柑に柚子に金柑なんかも、柑橘の果物というのは寒い場所では実りをみせず、お店から買うものだった北国育ち。
それが、新幹線で数時間の西に下りてくるだけなのに、東京の民家の庭には柑橘系の樹木がここあそこにも!
しかも、正月まじかの寒い冬ですよ。
柑橘類に疎い地で育ったものには、冬蜜柑をのぞいてみんな夏の果物という思い込みがあって、とにかくたいそう驚いたものです。

それから東京に暮らすようにもなって、毎冬、柑橘実る光景を、ぼんやり眺めやり過ごしたせいなのか。いつしか、東京の街の、品ある小さな家には黄色い蜜柑がなんとなく似つかわしい...などと思うようにもなりました。
東北の農家の庭には必ず柿の木があって晩秋の風情を代表するかのように、黄色く実るアレコレは、私の中では東京の冬の風景。
もちろん、もっと暖かな蜜柑の産地へ行けば、また違った光景がくりひろがりもするのでしょうが...。

今日も、いつものように街をそぞろ歩けば、ある寺の山門の向こうには、赤と黄色の実が並んでいます。なんと、千両に並んで、金柑の実りを見つけました。

ちょっとお願いして、近くによって見せていただきましょうか。
まだ、熟し始めといったところですが、顔を近づければ、爽やかな柑橘系の匂いがほんのり漂ってきます。
金柑の実は、中味にタネが多くてやや扱いが面倒だからか、最近は近所のスーパーで見かけることは稀ですけれども、そろそろ果物専門店には、かなりな上物が顔を出す頃。
冬場の祭の屋台でも、ほんの時々ですが、金柑の砂糖漬けが縁起物として売られているのを目にする時期です。
砂糖漬けが美味ということは、たぶん金柑のジャムもイケルだろうなぁ...と、ママレード好きゆえ思うのですが、もちろん金柑をどっさり入手するなどという好機はなかなか訪れませんのでまだ試したことはありません。
...と、金柑を愛でつつも、けっきょく行き着くのは、食べ物方面だったりもする。

この一株も、今年は大量の金柑を実らせておりますが、それゆえ、ジャムのことに思いがいったのでしょうか。まぎれもなくそうでしょうね、いやはやたいへん失礼いたしました。

金柑から少し離れて、寺のお庭も眺めさせていただけば、千両の奥には、万両の木もあって、たぶん探せば、南天の木もありそうで、来る新年を静かに待ち望んでいるようにも思えるたたずまいです。

そして、戻って、金柑の木に下がる木札を拝見すれば、そこには「姫橘(ひめたちばな)」と。
この美しい名は、金柑の別称。
わざわざ、こちらを選んだこだわりがなんとなく伝わってくる丹精された美しい庭です。

さて、柑橘の実がなるならば、夏には、あの白く芳しい花も咲くはずだよな!と思いついたのは実はごくごく最近のことで、茂る緑に黄色が目立つのとは対照的に、花のほうはよくよく注意していなければ気がつきません。
なので、ここも夏の花の観測スポットに密かにリストアップしておきましょう。

特に、千両・万両とならぶ姫橘。
花の頃は、どれも初夏から真夏にかけてですので、もしやまとめて白い花を楽しむことができるかもしれません。
by michiru-hibi1007 | 2011-12-10 10:57 | 植物のこと
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11月末ごろから小さな薄桃色の一重花を咲かせる冬桜。
初めて見た日は、温暖化による狂い咲きとも思いましたが、これも江戸期の植木職人の仕事の名残り、「大島桜」と富士山や箱根山などの高山に自生する「豆桜」の掛け合わせなんだそうです。

最初、普通に眺めるには希少だった冬桜も、界隈の庭木にもぽつぽつ苗が植えられたのか、それとも目が慣れたのか。
今年はずいぶんあちこちで冬桜に出くわすことが多いような気がして、春に派手さを競う桜の花リレーも、そのスタートはひっそりと、この小さな冬桜が先陣を担います。

そして、染井吉野が一斉に咲いて、あっという間に散ってゆくのと対照的に、この桜は花が楽しめる時期が俄然長く、枝の下のほうから一輪一輪、丁寧に花咲かせ、寒の内がいちばん元気です。
そして例年、節分を過ぎたあたりで、寒桜とバトンタッチするように枯れてゆく。
そうそう、この花、桜のくせに桜吹雪は無縁で、花は散らずに枝にへばりつくようにしぼんでゆきます。

華やかさは足りないけれど、冬に春の気分をはらんだ花があるのは、やはり楽しい。
そして、晩秋には黄葉を背景に。
雪が降れば桜と雪の不思議な組み合わせを見せ、ひときわクリアに澄んだ冬の空にもそのピンクは冴え冴えしく映えます。
霞みたなびく春爛漫の桜とはまたずいぶん違ったバリエーションを持つ冬桜の景色でもあります。

写真は、根津神社の公孫樹の黄葉を背景に咲く冬桜。
...といっても、実は、昨年のものです。

今年は遅かった公孫樹の黄葉がやっと来て、満を持して根津神社へと。もちろん、その黄葉を背景に冬桜を愛でて楽しむためにこそ...だったのですが、そこに冬桜の姿は消えてなく。
通りががりの方にうかがえば、”秋の大きな台風で根こそぎやられてしまった”とか、いや”病気になって根ぐされしてしまったんだ”とか。なんだか冬桜が消えた理由にも諸説もあり、冬桜のことをひそかに気にしていた方がいかに多かったかを物語ります。

本来ならば、低木の冬桜の前で少しかがんで、奥に背高の公孫樹の黄色を配置して見上げる。そんな風にして、黄色×薄桃色のやさしい色合いを楽しんでみる。
そして、同じくそんな風に眺めるひとに出くわし、見知らぬその人に慕わしさを感じ、ふふふとココロで微笑んでみる。
ここは、冬桜を介してそんなことを楽しんだ場所でした。

今年は、かつて冬桜があったところに立って見上げ、黄色い公孫樹を背景に薄桃色の花を記憶の底に描いて見るのみ。街には冬桜が増えたというのに、なんとも残念でなりません。

その思い出と感謝の気持ちで、今日は、かつての冬桜の写真を使ってみた次第です。
by michiru-hibi1007 | 2011-12-09 15:08 | 植物のこと
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牡丹と言われているけど、キャベツやブロッコリの仲間。
昔々は、土にまみれて暢気な野菜をやっていたというのに、いつしか美しくなる才を見込まれて、度重なる品種改良。
その運命は大きく変わり、ハッと気づけば冬には欠かせぬ立場の花と登りつめておりました。
...って、今が旬の花、葉牡丹のお話です。

今頃の花屋の店先では、そろそろ鉢部門の代表格としてお目見えを果たし、江戸の大名屋敷跡の庭園などに足を運べば、雪吊りがすんだ木々らを遠巻きに囲むように葉牡丹が植えられていて、冬の華やか系の演出担当。
師走もおしせまってくれば、葉牡丹をあしらった正月用の寄せ植え鉢はかなり豪華な印象で、そうそう門松の根元もこの花が飾るはずです。

葉牡丹の由来となる野菜が日本に持ち込まれたのはずいぶん昔、鎌倉時代とも江戸時代初期とも言われています。品種は、あのキャベツと同じなんだそうですが、球状にはならず、葉っぱが鮮やかに色づき幾重にも重なる。

「こりゃあ、食っちまうより見たほうがいい」と思った植木職人でもいたんでしょうか?

江戸時代中期以降の空前絶後の園芸ブームの波に乗り、いろいろ工夫を凝らされ、斑入りとか縁起のよさそうな紅白二色とかまで作られて、好事家たちにも珍重されました。
もともとは、ヨーロッパ産だそうですが、牡丹という華やかな名に恥じない姿かたちになったのは、江戸人たちの洗練をうけたから...というので間違っていないかと思います。
日本が開国されるや、海外へも輸出され人気を博し、そして、そのまま衰えることなく、今は世界の多くの地域で栽培される種になりました。
たとえば、クリスマスシーズンなどに洋書雑誌を眺めていれば、牡丹というよりバラのような扱い花あしらいとか、ブーケとか。洋風の飾りつけも立派にこなしているのをよく目にします。

葉牡丹は、冬の冷気をうけると、葉緑素が徐々に抜け、白、クリーム、紫、赤、桃色...その葉を花のように鮮やかに染めてゆきます。
だから、この花を楽しむころは、もうすっかりきっちり寒い冬の日々のはず。
...というより、じっと眺めていると、お正月のことを考えていたりします。

ああ、一年は早い早い。新暦のほうは、明日からもう12月です。
by michiru-hibi1007 | 2011-11-30 15:59 | 植物のこと
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クリスマスにはケーキを飾り、年が明ければ節分の魔よけになって大活躍をする。
年末年始ともなれば、柊の葉ばかりが忙しく、そのちょっと前に咲く花のことなど、だれの話題にものぼりません。
11月中旬をすぎて、やっと冬めいてきた庭先に、ひっそり柊(ひいらぎ)の花が咲きました。
トゲドゲと鋸の歯みたいな葉っぱに似合わず、咲くのは純白の小花。
可憐というか清楚というか、その可愛らしさに近づいてみれば、ほのかにやさしい香りまで放つ。

柊は、モクセイ科モクセイ属、実は、金木犀や銀木犀と同じ種の樹木なので香るのも道理。といっても金・銀木犀のように主張して香るわけでもなくて、それら仲間の花よりずっと遅れて咲いたのが申し訳ないと言ってでもいるかのように、香りはそっと。
なので、その存在感もありません。
そっと咲いて、そっと香り、いつしか満開になったころ少しだけ辺りに華やぎをそえるがそれも短く、そして北風が強く吹く頃、いつの間にか枯れて散ってゆきます。

子どものころに住んだ家は、路地を入った突き当りにあって、それは、子どもでもふたりがすれ違うには狭い道。
わざわざその道に張り出すように大きな柊の木があって、学校に遅刻しそうだと急いではいつの間にか腕を傷つけ、ともだちと話に夢中になって足を傷つけ...なんだってこんな邪魔なところに生えているのか。
聞けば、その柊は家の鬼門を守る役割を持つんだそうで、猫の額の我が家の庭も、北東の表鬼門は柊が守り、反対側の南西・裏鬼門には、南天の木があって、これも邪悪なものの進入を防いでいた...らしい。
狭かろうと柊はそこに植えられる必然性があったということでした。
しかし、かすり傷とはいえ、肌を傷つけられて、少々厄介な木だなとでも思っているのは子どもばかり。ふふふ、本当にそんなチカラがあるのかしらとやや侮りつつ育ちます。
そして、大人になって、我が故郷にはなかった節分の風習...下町の節分は、鰯の頭と柊の葉で作った魔除けを門口に飾る...に出会ってそれはかなり強力に効きそうで、ちょっと見直してみたりします。

そうそう、クリスマスケーキに飾る赤い実の柊は、西洋柊といって違う種なんだそうです。庭先の柊の木が散って、赤い実を待ち望んでも、クリスマスを通り越して翌年の初夏、やっと生り始めたのはシックな紺黒色の実です。
そのまま待てば赤くなるのかしらね...と待ち望んでも、もちろん、地味な色合いのまま落ちてゆきます。

つまり、柊それじたいは、葉っぱのとげとげしたカタチ以外に派手さがすくなく、じっと黙って邪悪なものから家を守る。
しかも魔よけともなる尖った柊の葉は、若い木のときだけのもので、樹齢がすすんで、老木となるにしたがって葉っぱはまあるく小さくなって、樹木自体も低くなってしまうんだそうです。

...ああ、なんだか、植物なのに、ちょっと人間に似ていませんか?
無口なせいで報われず、それでも淡々と役割をこなして年取ってゆくようなヒト...。

だからせめて、身近に柊の木があるならば、冬のとば口に、そっと目立たず咲かせる花を今年はよーく愛でてやってくださいませんか。
by michiru-hibi1007 | 2011-11-22 15:52 | 植物のこと
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初夏から真夏に入る際ぐらいに、オレンジの実をたわわにつける枇杷の木も今はひっそり...と思っていたら、なんと白い花を咲かせています。

街中であっても民家の庭で育てられることも多く、かつ、その葉っぱのカタチが特徴的ということもあって実りの季節以外にもよく目に付く樹木。
...いや、実りの季節に「少しもってって」とか「食べるの手伝ってくださいな」とか。通りがかりの見知らぬひとにも、嬉しいおすそ分けがあるもんで、ついつい、目が行きがちなのかもしれません。
もちろん、その収穫の日に偶然通りすがる幸運に恵まれれば...なんですけどね。

そういえば、半月ほど前、最寄の枇杷の木を眺め、葉っぱの間にモコモコ茶色い毛の固まりのようなのがついてるけれどなんだろう...と思って通り過ぎ、そのまま忘れておりました。

花はそのモコモコ茶色い毛の塊を破って開いたと言う感じ。
とすれば、あの茶色は枇杷のつぼみだったんでしょうか。
へーっ!
...って感心しているのもやや間抜けな感じ、花が咲かなければ実がならないのが道理、そこを飛ばしてあのオレンジの美味しいやつは実りません。

それでも枇杷は、葉や実ばかりが取りざたされて花のことはやや二の次な感じ。

確かに小さくてちょっと地味なたたずまい、それでも近寄って眺めてみれば、直径1センチぐらいの白い小花がまとまって咲く様子が美しいものです。
みんな、キャメル色のマフラーをして、そこから白い顔を覗かせているみたいなのが、可愛くもあって、ああ、まい冬こうしてひっそりと花を咲かせていたんだね...と、遅すぎる初対面すらもちょっと嬉しく思ってみたり。

晩秋から冬は、花も少なく、華やかさは紅葉がもってゆく。
だから、ちょっと気がつきにくいものですが、冬咲く花も案外いろいろ。

そして気づけば、こうして枇杷の花のようにひっそり咲く種が多く、それがなんともいとおしい。
花は、植物のいちばん華やかな時期と思っていたものですが、こんなひたむきにけなげに咲く、よーく見なければその美しさに気づかない種もあるんです。

この先、冬も深まってゆけば、山茶花が盛りを向かえ、水仙やら寒椿やら、また華やかな花の季節の1年が始まりますが、その前に、こうしてひととき、白く小さいものも大切に愛でよ...と、冬の花たちが言っているようにも思えてきました。

華やかなばかりでは食傷気味で面白くなく、飽きもする。
一方、地味なばかりも物足りない。

すべて美しさとか面白さとかは、緩急、強弱、濃い薄い...とか、そんな相反することが互いに支えあって成り立つものだと、冬の可憐な花が教えてくれたような気がします。
by michiru-hibi1007 | 2011-11-20 10:58 | 植物のこと
当ブログにおこしいただきありがとうございます。

そして、大変もうしわけありません。

これ以降の記事は、加筆して、新ブログ「ミチル日々」へ引っ越しました。
よろしければこちらでお読みください。

雑草・野草の混じって宝石散らばる「野葡萄」も実る秋です。/9/26=旧9/3・庚子
by michiru-hibi1007 | 2011-09-28 16:31 | 植物のこと
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背高泡立草(せいたかあわだちそう)が咲いています。
この花は、はびこられると始末に困るとか言われ、ときどき、花粉症の原因であるブタクサと間違えられたり、気管支喘息の元凶などと誤解もされ、とかく悪者扱いされてきた雑草中の雑草。

けれど、その群生に不意に出くわせば、やはりその美しさにしばし見とれるものです。

その名のとおり、すっくと背高で、黄色の泡がふわふわ漂うように花を咲かせる。数本ここからいただき家に飾ったとしても、この群生の美しさをみてしまったあとには、それはとても凡庸で、やはり野辺をのびのび黄色く染めているのが似合っています。

いつものように、柳宋民センセイの『雑草ノオト』を紐解けば、背高泡立草は、<生まれは北アメリカで、明治時代にすでに入ってきていたらしいが、爆発的に増えたのは太平洋戦争後>なんだとか。
その数十年のタイムラグがややきになります。つまり、高度経済成長とともに増えた草?

いろいろ調べてみれば、アメリカ軍の輸入物資に種が紛れ、それらとともに日本全国に渡り地面に落ちてそのまま育ったらしく...となればやや納得。

さらに先の『雑草ノオト』にもどれば、<背高泡立草は、かなり蜜を出すらしく、蜜源植物としても利用されているようだから、悪者も使いようかもしれない>などとあり、養蜂に活用するという事情もあったかもしれません。

しかし、自然破壊や公害など、植物にとってはあまりよからぬ環境の中で、他を駆逐しながら繁殖したということでもあって、それが、やや自然回帰がトレンドとなった現代には皮肉なことに、その繁殖力の強さが自らの繁殖力を弱めてしまったのだとか。駆逐する天敵は自分自身だったということですね。

子どものころは、なじみある背高泡立草の群生。たとえば、古い空き家や使わず放置された納屋などを囲み、中に進入し、平屋の屋根から黄色い花をのぞかせ勢いよく咲いていた光景まで稀ではありませんでした。
それが、少なくとも都会の雑草茂る空き地では、群生どころか数本すらも見かけることはなくなりました。そういえば...。

写真は、故郷の休耕田広がる場所で出くわしたもの。

背高泡立草にとってはいまや稀な風景ですが、ここは、ほんの数年前なら今頃は稲穂が垂れていた場所でした。
そう思い返してみれば、美しくてもやや物悲しい光景でもあります。

だから、近づいてみて眺めつつ「花は粟みたいだから、食べれないかしらね..」と、戯れに言ってみます。
すると、ともに眺めた知人に「背高粟立草じゃなくて、泡立草だしね」と訂正されて、しかも、草木染が可能な植物だそうで、染めるために煮立てると本当に泡が立つんだと教えられました。

そうなんだ...。
で、いったい何色に染めてくれるのだろうか?

ああ、それを聞くのを忘れました。
by michiru-hibi1007 | 2011-09-26 10:31 | 植物のこと