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カテゴリ:食べること( 17 )

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今日は晦日、明日はいよいよ大晦日となれば、かつては、おせち料理の準備に余念なしといった日でしょうか。
近ごろは、デパ地下や通販のおせち流行ではありますが、何も作らないのはやっぱり寂しい。
数年前から「黒豆」ぐらい作ってやろうとトライしはじめ、故郷で過ごす年末年始のために、それをもって帰省する...なんていうのが、歳の瀬の習慣となりました。
最初いまいちだった我が「黒豆」も、毎年作り続ければ、今年はなかなかの出来。
継続はチカラですね。

さて、お節料理といえば、この「黒豆」に加え、「数の子」「田作り」が関東地方の「三つ肴」
「黒豆」の黒は、邪を除けて、例によって語呂合わせですが、来年もマメに暮らせるようにと願いを込める。
「数の子」は、春告魚・鰊の子どもというのも縁起がよく。あれだけぎっしり詰まった卵の数は子孫繁栄の象徴でもあるんだそうです。
「田作り」は、干した片口鰯を炒って甘辛く煮詰めたもの。かつて鰯は、田圃の高級肥料とされて、使えば豊作といわれ、それを来る年の五穀豊穣を願って正月に食べる。

三は、完全を意味する数字でもあって、この「三つ肴」と屠蘇が揃えば、とりあえずお節料理=歳神サマと共にいただく膳は揃うというものです。
...ああ、あとは餅。
お餅は歳神サマのために搗かれるものでもあって、ここにお正月の朝作られるお雑煮は欠かせません。

しかし、それだけではココロもとなく、故郷に帰れば、お煮しめをはじめ、金団、蒲鉾、伊達巻、昆布巻き、膾...なんてのが定番でしょうか。いただきものがあれば、鯛とか海老とかがそこに加わる豪華バージョンの年もあるけどい、まあ、それは時々。
年末の故郷の記憶は、台所の湯気や、出汁に混じった醤油の香り。膾を作るお酢のツーンとすっぱい味とともにあったりします。

カミサマに捧げた供物をいただいて、聖なる火で煮炊きする。それを膳に仕立ててカミサマとともにお食事することを「直会(なおらい)」といいますが、お節料理は、そのもっともポピュラーで大切な直会の膳です。
それらを整える時から、もうそこに祝いの気持ち、カミサマをお迎えする気持ちが息づいている。
ちょっと手抜きをしたって、やっぱり、この手で準備したいな...と、年を重ねるに従いそんな風に思うようになりました。
by michiru-hibi1007 | 2011-12-30 14:58 | 食べること
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本名は温州みかんなんですが、冬みかんという呼び方が慕わしい。
寒さが増してくると、炬燵の登場とともにいつのまにやらダンボール箱に入って現れて、ひと冬、寒い廊下の隅などに置かれていたオレンジ色の美味しいやつ。
冬休みのある日、籠にみかんを盛って炬燵にあたり、読書しながらせっせせっせと食べ過ぎた。
冬中、しょっちゅう指先を黄色く染めて、本を汚すの腹をこわすのと叱られた...慕わしさは、何故かそんな情けない記憶とともにあって、みかんを眺めてふふふと思い出し笑いまで飛び出してきます。

スーパーの棚も八百屋もフルーツショップも、ちょっと下見に出かけた上野アメ横までも、目立つコーナーは、もうみかん色一色に染まっております。
冬の深まりとともに、売られる種類も増えて、値段もどんどんと安くなる。
冬みかんが店先を覆う度合いは、冬の深まりへのバロメーターのようです。

柑橘系のみならず多くの果物の中で包丁いらずで食べられるのは、ほかにバナナとリンゴの丸かじりぐらい。リンゴはちょっと手が汚れるし、バナナは、剥いた皮をその辺にほおって置くとあっという間に茶色くなってやや醜悪。
冬みかんは、食べれば甘くて瑞々しいというのに、剥いて口にする過程では、手を汚すことも無く。あの纏わりつかない感じは、生食する物としてなかなかに優秀と思うのですがいかがでしょうか?

さらに、たとえ剥いた皮をほおっておいても気にならず...どころか、手拭に包んでお風呂に入れて入浴剤がわり、乾燥させれば芳香剤に...と残ったものまで使って万能。
漢方の世界では、果皮を干して「陳皮」とし、それは、おなじみ七味唐辛子の材料でもあります。

もうひとつ言えば、来る新年用の注連飾りや鏡餅の上には、橙の代わりに冬みかんが飾られるのも多くなったような気さえ...。
見つけるたびに、「もうそれって”代々続く”と縁起担ぎはできないじゃない」と、ココロの中で突っ込んでみますが、我が実家の鏡餅にまでも、堂々冬みかんが乗せられているのを見るにいたって、「入手しやすいのだろうし、まあいいか」と達観する次第。

そうそう、正月に冬みかんといえば、その汁であぶり出し...という遊びもありましたねぇ。
削った割り箸をペンにみかんの汁をインクに見立て、子どもの間で秘密の暗号が描かれて、ご近所のポストをいったりきたり。
いっけん何にも描かれていない紙が、ちょっと火にかざすだけでいろんな文字や絵を描き出す不思議が面白く、冬休み中、飽きずに遊んで、しまいに「食べ物を粗末にするな!」とやっぱり大人たちに怒られました。
...ああ、これも冬みかんにまつわる情けないけと懐かしい思い出です。

さて、柑橘類の原産地はもっと南のほうとされますが、栽培を最初に始めたのは中国なんだそうです。さらに品種の研究にも熱心で、柑橘類の栽培史は、中国4000年の歴史とともにありそうな勢い。
といっても、もっときちんと調べてみたいと思ったもののなかなか資料が見当たらず、ちょっと小耳に挟んだ程度のお話で恐縮です。

で、かつて大陸の文化に憧れ吸収しようとしてきた日本ですから、もちろん、わが国における柑橘類の歴史もそうとう古く。『古事記』『日本書紀』に柑橘類の記述は、当然のごとくに登場します。

どちらも、垂仁天皇の章。
<天皇の命を受け常世の国に遣わされた田道間守(たじまもり、ちなみに『古事記』では、多遅摩毛理の表記)が、「非時香菓(ときじくのかくのみ)」の実と枝を持ち帰った>とあって、この「非時香菓」こそが「橘」のこと
たじまもりは、遥か遠い神や仙人のすむ国まで行き着いて、「非時香菓」を持ち帰ったものの、命じた天皇は崩御してしまったあと。たじまもりは、天皇稜に参り泣き崩れ、そのまま命を落としてしまいました。
...とそんなお話になっております。
仮に、神仙の国・常世は中国で、天皇の命を受け、そこから「橘」の種を持ち帰ったと読みとけば、ああ、それは柑橘類の伝来と符合して、なんとなく腑に落ちる物語でもありますね。

ちなみに、『記紀』ともに、<「非時香菓」は今の「橘」のことである>とは言っていますが、すでに当時何種類もあった柑橘類のどれだったのかとなれば、実はいまだ定かにされていないんだそうです。
もちろん、なので、それと温州みかんの関係性もあるのか無いのか紐解けず...なのがやや残念です。

そこは、ちょっと無視して温州みかんに話をもどしましょうか。
このみかん、中国の地名「温州」がつけられておりますが、実は、日本原産なんだそうです。
ルーツとなるのは、鹿児島県の長島東町という場所で、そこには、今でも樹齢300年を越す温州みかんの古木があって、一方、中国浙江省「温州」府には、温州みかんの類似種は、まったく存在しないんだとか。
それ以前はどうだったのかも気になりますが、少なくとも約300年前の18世紀初頭、温州みかんは九州の小さなエリアで栽培されていて、それが、この美味しい冬みかんの祖先のようです。

しかし、時は武家によって支配される江戸時代。
実は、冬みかんは、最初から種なしの果物で、家督相続を重んじる武家に非常に嫌われてしまった。

紀州からみかんを江戸に運び、財をなした紀伊国屋門左衛門とか。
駿府城には「家康公お手植えのみかんの木」が今もあって、家康の隠居所にはみかんの木が大事に植えられそれが静岡みかんのルーツとか...。
江戸期のみかんにまつわる逸話もけっこうあるにはあるけど、本格的に栽培されるようになるのは、なんと明治に入ってからなんだそうです。

冬場になくてはならない冬みかんにも、忌み嫌われる冬の時代があったんですね。
冬みかんには悪いけど、そんな歴史話もなんとなく面白いです。
by michiru-hibi1007 | 2011-12-20 13:30 | 食べること
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どんな食べ方をしようとも決して中毒になることはない。
つまり当たらないから、下手な役者のことを大根役者なんていいますが、東京のまんまん中で、大根畑にぶち当たってしまいました。坂の斜面を利用した、明らかに家庭菜園ですが、ちょうど抜き頃と思しき立派な大根が育っております。

この野菜も年中出回ってますが、そういえば大根の旬は、寒さが本格的になってからです。
ふろふき大根、おでん、ぶり大根に...畑の大根を眺めつつ、頭に去来するのは、冬本番の料理の数々ですし、軒に大根が干されたり、大掛かりに「やぐら干し」される光景だって、やっぱり冬の風物詩。実際、美味しい沢庵なんかは、大根を洗って、ちょっと表面を傷つけて、しばし寒風に晒さなければはじまらないんだそうです。

ちなみに、大根の原産地は、遥か遠い地中海沿岸や中東あたり。
紀元前からエジプトあたりで栽培されはじめ、それがいつものように、シルクロード→中国経由で日本に伝来。弥生時代には、もう日本で大根が栽培されていたんだとも言われています。

それだけ古くからの付き合いですから、もちろん、日本で最初に登場する文献も『古事記』『日本書紀』の類。
どちらも、仁徳天皇の章で、家出してしまった皇后に帰ってきてもらおうと仁徳天皇自らが詠んだ歌に大根が登場します。

「つぎねふ 山代女(やましろめ)の 木鍬(こくわ)持ち 打ちし大根(おほね) 根白(ねじろ)の 白腕(しろただむき) 枕(ま)かずけばこそ 知らずとも言はめ」(『古事記』講談社学術文庫)

浮気物の仁徳天皇が、自分のほかに勝手に妻を迎えたことを知った磐之媛(いわのひめ)皇后は、ほかの土地に宮殿をつくり、天皇のもとへは帰らないことに決めました。
しかし、ほかに妻を娶っても、皇后が恋しい仁徳天皇。
みずから皇后の住まいの前まで赴いて歌った意味は、「山代の女が木の鍬を持って打ち耕し作った大根。その大根のように白い腕を私が枕としなかったのならば、私を知らないと言ってもよいだろう」(同上)。
うーん、つまり「大根の白さと同ように美しく白い腕枕をしてくれた仲ではないか」といって口説いた...ということですか。
現代ならば、かえって「どうせ、私の腕は大根のように太いわよ」とか怒られそうな気がしますが、当時の大根、今の様子とはずいぶんと違ってもいるようで、もしや、白くほっそりした野菜だったかもしれません。

その大根が大々的に栽培されるようになるのは、やはりそれからずーっと歴史が下って江戸時代の頃。ほかの野菜同様、品種改良も盛んで、当時の大根は、なんと現代よりもずっと種類が多かったようです。
ちなみに、江戸近郊では、板橋、練馬、浦和、三浦半島辺りが特産地となり、中でも漬物樽に納めやすくするため太さが均一になるよう改良した練馬大根は有名だったとか。
今も練馬大根は有名ですが、生産量はとても少なく、江戸では、今よりずっと盛んに栽培されていたようです。

ところで、現代の日本に根付き、まるで日本原産のような顔をしている野菜や樹木たち。
たいがいは、西のほうからシルクロード→中国→日本と同じ経路で伝わってきて、細々と作られていたものが、江戸時代にアレンジされて花開き、広く広がり現代に至る...大雑把に捉えてみれば、みんな同じような伝わり方をしてきたようです。
それでも、、多くはこの大根のように、世界中でもっとも豊かな変化をとげ定着したものばかり。その変化と広がり方と、それが生み出し育んだ食文化などを考え合わせてみれば、もはや外来種であったことなど忘れてよいぐらいでもあります。
いっとき、こんな流れを評して”猿真似”とも言われましたが、そうと言うよりこれは「日本人のアレンジ力の凄さ」。
大根一本ですが、そんな日本の先人たちのチカラをいちいち感じてやみません。

さて、道端にて瑞々しい大根を見せられれば、もう大根が食べたい気分満々です。
そのまま八百屋へ回れば、なんと葉つきの青首大根1本100円。隣の魚屋で、これも安い鰤あらを仕入れ、今日の晩のおかずは、「鰤あら大根」となりました。

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...調子に乗って、作りすぎです。

大根には捨てるところがありません。葉っぱは、塩で揉んだり、油揚げと炒めたり、剥いた皮も細く刻んできんぴらに。あまりそうな大根はさっさと刻んで、晴れて寒く乾いた日に外に干す。
すると、さらに滋味ある美味しいものになってゆくんですもの、100円だったのがもうしわけなく。

大根様様、ほんとにありがとうございます。
by michiru-hibi1007 | 2011-12-16 18:54 | 食べること
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行く秋や手をひろげたる栗の毬
手のひらがゆっくりひろがるように毬(いが)が開いて、顔を出したのはふっくら艶っぽい栗。
芭蕉の詠んだ栗は、こんな感じでしたでしょうか。

ときどき遠回りして通る道沿いに、気ままにという感じで顔出す栗の木が一本。
民家の庭先におかれるにしてはけっこう巨木で、見上げて目を凝らせば、そこには、グリーンのイガイガ坊主が生っていました。

今年もたくさん実りそうだなぁと思いながらも、頭上の木の実のことなどすっかり忘れ、夏も過ぎゆき、あっというまに八百屋の店先には、栗が並ぶ季節になっております。
誰かがせっせと磨いて艶出したような栗の姿にハッとして、今日は、栗の木めざして遠回り。
なじみの栗の木も、しっかり熟し、高い塀を乗り越えて、コンクリートの歩道の上に茶色いいがぐりが落ちていました。
中味は...と、残念、もうどなたかに採取されてる。
翻って見上げれば、木の上には開いてもう少しのものが多数。

ああ、とうとう栗の季節です。

栗は、木から直接収穫は大いなるタブー。毬の中で熟せば、かってに毬が開いてそのまま落ちる。開いて落ちたところをとげに気をつけながらつやつやのところを穿り出して...栗好きならそれを待ちます。
熟して自然に落ちた実がなにより食べごろ、だって、栗の収穫だけは「栗拾い」っていいますでしょう。
おなかの減った熊のように、ゆさゆさ木をゆすって落としたところで、そんな栗は美味しくはない。...それは、田舎育ちの子ども時代をもつ者ならば、たぶん、だれもが知ってる栗の不文律です。

ああ、栗の木がある林にピクニックして、栗の残像がまぶたの裏に写るまで、せっせと栗拾いをしたあの頃が懐かしいです。

さて、日本の栗栽培の歴史は、おおよそ5000年以上。
栗は、まずもって、縄文人たちの定住生活を支える貴重な食料として日本史のなかに登場します。
彼らは、野生のものを採取するのではなくて、集落を作りその周囲で栗を栽培していたんだそうです。青森県の巨大な縄文遺跡「三内丸山遺跡」からは、瓢箪、牛蒡、豆とともに数多くの栗が出土。DNA分析などを屈指した研究により、近年、その事実が明らかにされております。

そして、もちろんその記述は、『古事記』にも『日本書紀』にも。
ちょっと書き出してみましょうか。
まずは、『古事記』の雄略天皇の章。

かつて行幸の折に出会った美少女アカヰコに戯れに求婚したまま、なんとその事実をすっかり忘れてしまった雄略天皇。一方、少女のほうは操を守り80年も待ちつづけ、まちきれずに老婆になって参内。
時間間隔が悠長すぎて、やや、首をかしげる展開ですが、まあそこはそれ、神話の世界のお話で、そのとき、天皇が歌った歌に栗林が登場します。

「引田の若栗栖原 若くへに 率寝(いね)てましもの 老いにけるかも」
この「若栗栖原」が栗林のこと。

歌の意味は、引田の若い栗林のように若いうちに、おまえと共寝すればよかったものを...と若さを栗林にたとえて嘆いていわけですが...なんだかずいぶんひどいお話ともとれますね。
が、解釈はされおいて、すでに「栗」がしっかり記述されております。

一方、『日本書紀』は、ずっとさかのぼって応神天皇の十九年の冬十月の章。こちらは、もっとずっと具体的なものとしての登場です。

天皇が吉野宮に出かけた時、国樔(くず)の地の狩猟民が酒を献上にやってきます。彼らは人柄も純朴で常には木の実や、蛙を煮たものを食しているような人々でした。
のちに、国樔人たちは、自らの土地の特産品を持参して、ちょくちょく都にあがるようになったとか。その特産品が、栗や茸、鮎のたぐいであった...とあり、時の天皇に献上する品のひとつとして、「栗」が登場いたします。

若さの象徴にした栗林。
おそらく歓迎されたであろう献上品としての栗。
古事記&日本書紀の時代の栗は、かなり位置づけ高くある。木々に実る様子も面白さあふれ、糖質たっぷりで主食にもなり美味。きっと、珍重度合いの高い食物だったんじゃないでしょうか。

その後の平安時代には、本格的な栽培もはじめられ、京都の丹波地域あたりで栗栽培が盛んになります。
今でも「丹波栗」は、立派な京都地方の名産品のひとつでもありますね。

さて、こうして紐解いてゆけば、私たち日本人と栗は、長く深い関係をつないできたことか。

だからというわけではありませんが、やっぱり、今年も栗を一山。
秋が過ぎ行く前に、鬼皮を剥き、渋皮をとって、せっせと栗をいただくことになります。
by michiru-hibi1007 | 2011-10-17 10:01 | 食べること
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いつの間にか、いちじくの実が熟していますよ!/9/3=旧8/10・丁丑
by michiru-hibi1007 | 2011-09-07 18:10 | 食べること
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秋茄子シーズン到来で、そろそろ食べおさめです!ココロして食おう!/9/5=旧8/12・己卯
by michiru-hibi1007 | 2011-09-03 09:43 | 食べること
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七十二候は「鷹乃学習」。この時期に併せて夏野菜解禁!で、胡瓜を食す/旧6/22・庚寅
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今日も、夏の食べおさめがないか考えています。あっ!枝豆たべなきゃ!!/旧8/6・癸酉
by michiru-hibi1007 | 2011-08-09 21:53 | 食べること
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七十二候の「涼風至」の日々は、青紫蘇を刈る、漬ける/旧7/13・辛亥
by michiru-hibi1007 | 2011-08-07 22:38 | 食べること
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旧盆帰省が、やっと桃の旬...いや、ほぼ個人的になんですが/旧7/24・壬戌
by michiru-hibi1007 | 2011-08-05 21:38 | 食べること